ワタシと同じ昭和39(1964)年 生まれということもあり、毎月のように乗っているということもあり、新幹線は大好きだっ!やっぱり飛行機よりも新幹線の方がお気に入りかなー!♪(・∀・)
そしてこの新幹線誕生の物語、好きなんだよね〜!「日本の東海道新幹線は、世界の鉄道を斜陽の危機から救いだした。鉄道全盛の時代に代わって、自動車と飛行機の時代が到来すると誰もが信じていたときに、距離数百キロの大都市間を、飛行機のように速く、通勤電車のような過密ダイヤで結ぶ鉄道がありうるということを、事実をもって証明した。本書は、戦前と戦後を通じて、国有鉄道という大組織の中で、世界鉄道史上に残る数々の傑作を生み出し続けたエンジニアの半生を描く。関東大震災、太平洋戦争……激動の歴史に翻弄されながらも、真っ直ぐに職人魂を貫き続けた男の姿に、胸が熱くなる!『新幹線をつくった男 島秀雄物語』を改題し再編集」そのエッセンスを紹介しよう。
・蒸気機関車の「デゴイチ」(D51)と東海道新幹線0系が、 まったく同一の人物によって設計され、 作り出されたという話を聞いたとき、おおいに驚いた。 あの鋼鉄のむき出しのメカニズムと滑りゆく流線型のボディー。 真っ黒い重量感と、ホワイト&ブルーのスピード感。「過去」と「 未来」、「戦前」と「戦後」一見して、 なにもかも正反対に見えるこの両者は、いったい、 どこでどう結びつくのだろうか。 世界鉄道史上に残る数々の傑作を生み出し続けた人物、島秀雄。 この物語の主人公である。
・「島秀雄の生き方は、 自分に与えられた役割に徹し続けることだったと思うんです。 日本の鉄道を近代化すること。 それに徹するのが自分の役割だと割り切って、 脇目もふらずに邁進した。その覚悟を作ったのは、やはり20代、 30代で経験した2度の外遊だったと思うんです」
・湘南電車の色と顔。 あの独特の緑とオレンジのツートンカラーは、 沿線のミカンの葉と身の色から取られている。 これが従来の通説である。しかし実際は、島が『レイルウェイ・ エイジ』というアメリカの鉄道雑誌の表紙を指し示して「 このツートンカラーでやってみよう」と指示を出したのである。 その写真では、 線路際のオレンジの木がたわわに実っていたという。 当時はツートンカラーは皆無。 日本復興を告げる華やかなシンボルとして走りはじめるはず。 ミカンの葉と実の色という後付の説明がつけられた…… というのが真相のようである。
・当時の図面には「S式便器」つまり島式便器と書かれている。 その後鉄道ばかりでなく、 家庭や店舗でもおおいに活用されるようになった。 とりわけ喫茶店、スナック、 バーの類の比較的狭い店にはとても重宝されて「汽車型便器」 という名で広く親しまれた。
・湘南電車は何であったか。戦後鉄道史を語る上で、 どのような意味を持っていたのか。ひと口にいえば、 東海道新幹線につながる長距離電車列車の可能性を、 世界に先駆けて実現し、証明してみせたことである。当時、 世界に、 1編成16両で2時間半も走り続ける電車はどこにも存在しない。
新幹線中央乗り換え口、正面の柱のブロンズ製の記念碑。「 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」
ちょっとーちょっとちょっと!今度新幹線ホーム、行ってみよっ!!!写真、撮らなきゃ!オススメです。(・∀・)
この本も併せてオススメっ!