最近、ハマっていて、全作品読破を狙っている、ほしおさなえさん。同い年なんだよね……1985年っていうと、青春まっさかり。21歳、大学3年生かあ……。あの頃を思い出すなあ……どの作品も、胸を締め付けられるようだ……。感動の嵐……言葉にならない……。
「陽太郎の師、写真家の弘一には秘密の顔があった。それは銀塩写真探偵という驚くべきもの。ネガに写る世界に入り、過去を探れるというのだ。入れるのはたった一度。できるのは見ることだけ。それでも過去に囚われた人が救いを求めてやってくる。陽太郎も写真の中に足を踏み入れる。見たのは、輝きも悲しみも刻まれた永遠の一瞬で──。生きることとは、なにかを失っていくことなのかもしれない。哀切と優しさが心を震わす物語」そのエッセンスを紹介しよう。
・なにが写っているかは問題じゃない。わたしが撮っているのは、 常に『もの』じゃなくて『光』だからだ。『写真』は『 真実を写す』と書く。じゃあ『photograph』 とはなんだ?ギリシャ語で『フォト』は『光』、『グラフ』は『 描く』つまり、『光が描く』という意味だ。
・「だいたい、お前は写真を撮る態度からよくない。 目の前にある物体をつかまえに行くんじゃない。 はいってくる光を受け止めるんだよ。つかまえようとすると、 どうしても前のめりになる。手が動く。そうじゃない。 ただどっしりかまえて受け止めればいい。撮ったらすぐ逃げよう、 という態度もダメだ」
・写真は、撮らないと上達しないよ。時は金なり。 撮り始めるのが一ヶ月遅れれば、一ヶ月損をする。 若い人は一ヶ月くらいって思うかもしれないけれど、 若い頃の一ヶ月は貴重だよ。だから、 写真を撮りたいと思ったなら、 とにかく一刻も速く自分のカメラを手に入れた方がいい。いや、 手に入れなきゃダメだ。
・カメラっていうのは、光を受け取る機械だ。 光という繊細な筆の跡をどれだけフィルムに載せられるか。 考えに考えて作られている。だからカメラは、 カメラの初心者なんかよりずっと光のことをよく知っている。 だれでも光のことをカメラから教わるんだ。カメラに導かれて、 光の世界に行く。カメラは「師」なんだよ。「師」がよければ、 たくさん学ぶことができる。だから、最初のカメラ選びは大切だ。 安いカメラでは高い場所まで行けない。授業料だと思って、 いいものを買った方がいい。
・オートフォーカスってなんだ?人の顔の写真でも、 鼻にピントが合ったものと、 目にピントが合ったものは全然別物だよ。どこにピントを合わせ、 絞りをどれくらいにして、って計算して撮るのが写真。 機械に自動で合わせられたらたまらない。
・あの引き伸ばし機を使っても、 ふつうはただネガが拡大されるだけだ。扉が開くには、 その時間に行きたい、という強い思いが必要だ。いや、 思いというより、もっと不思議なものだな。西條さんは『 呼ばれる』って言ってた。 その人が見たいと思っているものがその世界にあるときだけ扉が開 く。
・新見はそういう男だった。写真は遊びじゃない、 世の中に真実を訴えるためののもだ、といつも言っていた。 それに対して、わたしは、真実なんてものは味方によって変わる、 って立場だったからね。
・写真世界を訪れるたびに、ここを新見が見たらどう思うだろう、 と思った。新見が撮るような戦場ではないが、 あの世界には現実が記録されている。身近で、ありきたりの、 だが、だれかにとってはほかに代えがたいほど大切な一瞬。 それが切り取られてあそこにある。 その中を新見と歩いてみたかった。
・あのときは批判したが、改めていま見ると、 大学祭の木の葉の写真、悪くないよ。あの木の葉の影の先に、 お前の真実がある気がする。ほかのだれにも見えない、 お前だけの真実が。俺はあのとき、 そのことをうらやんでいたのかもしれない。 お前のことは認めている。この世でお前の言葉だけは信じられる。 ずっとそう思っていた。お前が写真そのものだからだ。 お前はお前の道を行け。俺は俺の道を行く。お前だけの真実。 いつかそれを見せてくれ。 新見賢也
・はじまったものはいつか終わる。 そういうことが見えてくるんだよ、この年になるとさ。
名言の連続だな、いいね、ホントに。うちのモノクロ写真に入りたくなりましたー!オススメです。(・∀・)