「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「納棺夫日記 増補改訂版」(青木新門)

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納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

  • 作者:青木 新門
  • 発売日: 1996/07/10
  • メディア: 文庫
 

映画やドラマをほとんど観ないワタシが同じ映画を2回以上観るということは数えるほどしかない。その中でもアカデミー賞を受賞したおくりびとはその中の貴重な一本だ。その原作ともいうべき本がコレ。いや〜!これは深いっ!映画の100倍深いなあ…。映画の内容は前半で、本当に著者が言いたかったことが後半だったんだな…。

 

"死"と向い合うことは、"生"を考えること。長年、納棺の仕事に取り組んだ筆者が育んできた詩心と哲学を澄明な文で綴る"生命の本"」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・叔父は、いい仕事があるがと切り出し、話の中で、何代も続いた家柄の本家の長男が納棺夫になりさがったことをなじったり、わた一族には教育者や警察など国家公務員も多く、社会的に地位のある人も多い、と言ったり、その一族の恥だと言ったりした。そして最後に、今の仕事を辞めないのなら絶交すると言った。葬儀屋の社会的地位は最低であるし、納棺夫や火葬夫となると、死や死体が忌み嫌われるように嫌われているのが現状である、どうも、タブーの世界へ足を踏み入れたようだ。そう気付くと不安になる。
 
トンボたちが壮大な夕焼けの空を飛んでいる。考えてみればトンボたちは、人類が出現する前の気の遠くなるような昔から、夕焼けの空を飛んできたのだ。この秋の夕暮れの一瞬に、生の存続を賭け、数億年も飛んでいるのだ夕焼けがトンボを赤く染めあげたのだ。
 
・久しぶりに、湯灌・納棺の仕事が入った。東京から富山へ戻り最初につき合っていた恋人の家であった十年経っていた。瞳の澄んだ娘だった。コンサートや美術展など一緒によく行った。午後十時の別れ際に車の中でキスしようとすると、父に会ってくれたら、と言って拒絶した。それからも父に会ってくれと何回か誘われたが、結局会うことなく終わってしまった。しかし、醜い別れ方ではなかった。横浜へ嫁いだと風の便りに聞いていた。本人は見当たらなかった。ほっとして、湯灌を始めた。
 
額の汗が落ちそうになったので、白衣の袖で拭こうとした時、つの間にか座っていたのか、額を拭いてくれる女がいた。澄んだ大きな眼一杯に涙を溜めた彼女であった過作業が終わるまで横に座って、私の額の汗を拭いていた。退去するとき、彼女の弟らしい喪主が両手をついて丁寧に礼を言った。その後ろに立ったままの彼女の目が、何かいっぱい語りかけているように思えてならなかった。車に乗ってからも、涙を溜めた驚きの目が脳裏から離れられなかった。私の横に寄り添うように座って汗を拭き続けた行為も、普通の次元の行為ではない彼女の夫も親族も見ている中での行為である。軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、何かを感じた。私の全存在がありのまま認められたように思えたそう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。
 
職業に貴賤はない。いくらそう思っても、死そのものをタブー視する現実があるかぎり、納棺夫や火葬夫は、無残である。昔、河原乞食と蔑まれていた芸能の世界が、今日では花形になっている。士農工商と言われていた時代の商が、政治をも操る経済界となっている。自分の父や母が、日ごろ白い眼で見られている者の世話になって人生の最後を締めくくるのも、おかしな話である。
 
・仕事柄、火葬場の人や葬儀屋や僧侶たちと会っているうちに、彼らに致命的な問題があることに気づいた。死というものと常に向かい合っていながら、死から目をそらして仕事をしているのである。自分の職業を卑下し、携わっているそのことに劣等感を抱きながら、金だけにこだわる姿勢からは職業の社会的地位など望むべきもない。嫌な仕事だが金になるから、という発想が原点である限り、そのような仕事であれ世間から軽蔑されるであろう。
 
・お棺を置き、布団をはぐった瞬間、一瞬ぞっとした。無数の蛆(ウジ)が肋骨の中で波打つように蠢いていたのである。何も蛆の掃除までしなくてよいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。
 
・死者の顔を気にしながら、死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどがやすらかな顔をしているのに気づいた。この地方の葬儀は、80%以上が浄土真宗で執り行われるが、ほとおどが門徒でることさえ自覚したことがない。にもかかわらず、死者の顔はみんな同じように安らかな相をしている。死んだままの状態の時などは、ほとんど眼は半眼の状態で、よくできた仏像とそっくりである
 
死に近づいて、死を真正面から見つめていると、あらゆるものが光って見えてくるようになるのだろうかそれはどんな光だと言われても、説明のしようがないもののように思えた。私の手を握って「ありがとう」と言った叔父の顔にも、多くの死者たちの顔にも、あの光の残映のような微光が漂っていた。詩と対峙し、死と徹底的に戦い、最後に生と死とは和解するその瞬間に、あの不思議な光景に出会うのだろうか。人が死を受け入れようとした瞬間に、何か不思議な変化が生じるのかもしれない
 
・最近になって、この世に詩人というものが生まれるのは、人生の初期段階で、あの不思議な光が関わっているのではないだろうか、と思うようになった。詩人たちの生き様には一つの共通のパターンが見られるのである。まず詩人たちは一様に、ものへの執着がなく、そのくせ力もないのに人への思いやりや優しさが目立ち、生存競争の中では何をやっても敗者となり、純粋で美しいものに憧れながら、愛欲や酒に醜く溺れ、死を見つめいているわりに、以上に生に執着したりしている。そして、言葉で言っていることにわりに、やっていることはお粗末で、世に疎まれながら生きているといったパターンが多い。どうしたこのような悲しい生の軌跡をたどるのか、不思議に思っているうちに、あの不思議な光のせいではないだろうか、と思うようになった。あの「光」に出会うと、生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな気持ちとなり、すべてを許す気持ちとなり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれでる状態となるこうした状態になった人のことを、仏教では菩という。
 
・特に幼年時代に生の根源に関わる事件が、光現象に類似の現象を生むようである。その最大の事件は、親との別離である。動物の世界では母親との別離は死を意味する。源信法然明恵道元、一遍、親鸞蓮如これら高僧たちはおしなべて、十歳未満で父母との別離に出会っているこうした幼い日の悲しみの光は、いつまでも残り、その人生に大きな影響を与えていく。
 
本来、原生生物には死がないといわれている。単純な分裂によって増殖し、その過程で一切の死骸に相当するものを残さないそうである。この方が自然の摂理に叶っているのであって、高等生物の自然死は、有機体が複雑に進化し、不完全な統合しかできなくなって引き起こされる付帯現象であるという。要するに、死ぬということは有機体が複雑になったがゆえに生じた不完全さの結果であるといいうわけである。生物の中で最高の複雑さを身に付け、最も自然の摂理とかけ離れてしまった人間は、生死を超える完全な統合を、如来の力に頼るしかないのかもしれない。
 
(高史明)・人間にとっての幸福とは何か。とりわけ現代の私たちが、幸福という言葉を通して、その脳裏に思い描くのは何であろう。白いご飯がそれだけで幸福という言葉と、まっすぐに結びついていた時代があった。戦後すぐの頃には、一日に何人もの餓死者がでていたのである。世の中が少し落ち着いてきてからは、電気冷蔵庫などの電化製品が、幸福という名とともに考えられた。今日の人びとは、焼け跡から始まった50年前の夢を、ほぼすべて実現させているのである。だが、人びとはいま、その心底に広がる深い不安と虚しさを、深く意識しているのではなかろうか。

 

今年読んだ本の中のベスト10入り、間違いなし!です。超オススメです!(・∀・)♪

 

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納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

  • 作者:青木 新門
  • 発売日: 1996/07/10
  • メディア: 文庫
 

 

GOURMET〜健在!これぞ、昭和のラーメン!「ささもと」(県立大学)

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ラーメン 600円 チャーシューメン 800円

ささもと

神奈川県横須賀市安浦町2-26 046-823-0945

10:00~19:00 月休

https://tabelog.com/kanagawa/A1406/A140601/14079676/dtlrvwlst/B427705082/?lid=unpickup_review

 

ラーメンブームが訪れるずっと前からラーメンが好き。昔ながらの醤油ラーメン、東京ラーメンが好き今、なかなか無いんだよね。…凝りすぎていて。Wスープだとか、なんとか干しとか、なんとか白湯(ぱいたん)とか。一杯1,000円するのも珍しくない。ラーメンっておやつ代わりの、庶民の食べものじゃなかったのか!

 

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ということで、昔ながらのラーメンを探し、食べているワタシに、横須賀に昔ながらのラーメン屋があるとの情報がっ!さっそく行ってまいりました。横須賀は、近所だから。(笑)昔は京急安浦駅」だったのがいつの間にか「県立大学駅になってキレイになってる!

 

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駅前のゆるやかな坂を下ってすぐ。おおー!この店構えがイイ!!!

タイムスリップしたなー!(笑)

 

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おおー!!!このルックス!チャーシュー、細めのメンマ、スープの色、ナルトがウレシイ!!!

 

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おおー!!!こ、こ、コレは!!!あの秋葉原駅にあった伝説のラーメン屋「いすず」を彷彿させるっ!この醤油感っ!懐かしいっ!ウマイっ!!!!

 

rocketnews24.com

これよ、これ、コレ!!!2回めに行ったときには、スープの味を濃い目にしてもらったら、まさに「いすず」に近づいたカンジ。創業40年以上だとか。ここはふらっとサンダルで食べに来たいなあ。

 

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昔ながらの醤油ラーメンで閉店したお店というと、「さぶちゃん」「ピカ一」(神保町)江ぐち「みたか」として復活)かなあ。貴重なお店。ずっと続いて欲しい。超オススメですっ!!!(・∀・)

 

「被差別民衆に君臨した“頭” 江戸の弾左衛門」(中尾健次)

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芸能界やお笑いの世界に憧れている子どもや若者って多いよね。華やかな世界に映るんだろうねえ。まあ、ワタシも音楽の世界に憧れたけど「食える」 「稼げる」とは思わなかったよね〜。でもこれからはわからないよ!(笑)紅白歌合戦に出場して白組の勝利に貢献する!」という夢があるから!(笑)

 

さてこの本。江戸300年、被差別民衆の“頭”として13代にわたって勢力を振るった弾左衛門の歴史と実態とは?そして芸能の原点=河原乞食、非人の生きる術だったとは?そのエッセンスを紹介しよう。
 
近世の江戸社会には、大道芸を生業とする人びとがずいぶんおりました都市に流入してきた「貧民」たちにとって、生きるための“最後の砦”ともいえる生業が、この大道芸です。道行く人の足を止め、さらに魅了したうえに、財布のヒモをゆるめさせねばならないわけですから、非常にムズカシイ仕事ではあります。しかし、その一方で元手は要りません。そんなこんなで、多くの人びとが、大道芸を生業とすることになります。
 
近代以降の被差別部落も、1880年代以後、生活の貧窮化が進む過程で、芸能の仕事がはじまりますが、近世においては、車善七(くるまぜんしち)手下の非人が最初にはじめたということで、本来は非人の生業とされていました。ところがちょうど江戸時代のはじめごろ、浪人者で同じような仕事をやっている人がおりました。。長嶋磯右衛門という人で、同じように「貧人」を集めて、大道芸をやる集団をつくりました。のちに二太夫(にだゆう)という人が頭になりまして「乞胸(ごうむね)」と呼ばれるようになりました。ところが、この乞胸のやっている仕事と、非人のやっている仕事は全く同じです。道を行く人びとの足を止め、さまざまな芸をして見せる。方法といえば楽器を奏でる、しゃべりで聞かせる、いろんな所作をやる。やっているうちに、だんだんよく似た芸になってしまいます。ということで、乞胸集団と非人集団との間で訴訟に発展します。町奉行の最低は、仕事については非人頭車善七の支配に入りなさい、けれど身分は町人のままという裁定でした。ですから乞胸は、身分は町人で、仕事は賤民というややこしい身分でした。
 
・これ以外にも「願人」という芸能集団がありました。これはもともと鞍馬寺に属しているいわゆる托鉢僧です。もともと僧侶だったのですが、寄付を集めるために大道芸をするというより、大道芸で金を稼ぐ。結局、年月が経つにつれて、立派な芸人集団になってしまうつまり形式的には僧侶なのですが、やっていることは非人や乞胸とまったく同じということになります
 
乞胸がおこなう大道芸は、12種あったといわれています。綾取・辻放下・説教・物読・講釈・浄瑠璃・物真似・仕形能・江戸万歳・猿若・操り・辻講釈の、以上12種です。「綾取」とは、竹の棒に房をつけ、これを投げ入れて曲に取る芸をいい、辻放下」は、玉を隠したり、手玉を取ったりする芸をいいます。これらは、手品や曲芸に類する芸といえましょう。語りの芸もあり、むかし話に節を付け、語って聞かせると「説教」になり、内容が古戦物語なら「物読」になります。「太平記など、出し物の決まっているのが「講釈」です。これが、やや謡に近づくと浄瑠璃になります。「物真似」は、歌舞伎役者の口上を真似たり、鳥やけものの鳴き声を真似るものをいいますが、同じ物真似でも、能の真似を「仕形能」三河万歳の真似を「江戸万歳」といいます。そのほか、頬を赤く染めて演ずる芝居を「猿若」といい、よしず張りのなかで操り人形を扱ったり、箱に目鏡をつけて、それを見たりする軽演劇を「操り」といいます。最後の「辻講釈」は、芸のできない者や子どもたちらが、ただ往来にすわって銭を乞うことをいいます。これは、およそ「芸」には遠いようです。
 
・ややこしい職業が香具師です。大道で店を出し、口上を述べながら商品を売る商売です。口上だけでも人が集まります。口上そのものが「講釈」や「説教」と変わりません。場合によれば、口上で銭をとっているのか、商品で銭をとっているのかわからないものがある。
 
この芸能のルーツを知るって大事だよね〜!オススメです。(・∀・)

 

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「社会人大学 人見知り学部 卒業見込」(若林正恭)

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完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)
 

お笑い芸人が書いた本って、けっこう読んでいるんだけど、どれもなかなかオモシロイんだよね〜!案外、マジメだったり、鋭い視点を持っていたりする。テレビではゼッタイにみられない一面があって妙に感心するのだ!

 

さてこの本。ジャイアンツのエース・菅野に似ているオードリーの若林正恭。(笑)

「若手芸人の下積み期間と呼ばれる長い長いモラトリアムを過ごしたぼくは、随分世間離れした人間になっていた―。スタバで「グランデ」と頼めない自意識、飲み屋で先輩に「さっきから手酌なんだけど!!」と怒られても納得できない社会との違和。遠回りをしながらも内面を見つめ変化に向き合い自分らしい道を模索する。芸人・オードリー若林の大人気エッセイ」そのエッセンスを紹介しよう。
 
社会人一年生であった2009年の頃、まず忙しかったな、という記憶。2009年と2010年はテレビの出演本数ランキングで一位だったらしい。収録では、テレビで見ていた憧れの先輩たちに会える。一緒に仕事ができる。嬉しい。でも、実力以上の仕事が舞い込んできて期待されるような働きができていないと感じる。焦る。そんな気持ちを行ったり来たりするような日々だった。一日に平均4、5本の収録があった帰りに、ネタ番組のネタ作りが必ずあった。深夜、永福町のマクドナルドやファミレスで相方と世間話など一切せずに坊さんが写経するように無表情でネタを書いていた
 
お金がない時代の食生活は一日2食。昼は牛丼。夜は100円ショップのおにぎりやパンが23時以降タイムサービスになり半額の50円になるので、それを買いに行くそんな食生活を20代のほとんどで送っていた。
 
毎日晩酌をするようになった。相変わらず飲み会嫌いなので、ほとんど一人で飲んでいる。なぜ、大勢で飲むのが嫌いなのかというと、3人以上で飲むと平均して2時間で3回ぐらい心に傷を負うようなことを言われてウッ!となるから嫌なのだ。もう一つ、酔っ払うと妙に熱いことを言ってしまうので、次の日恥ずかしくて一緒に飲んだ相手と2周間くらいコンタクトを避けたくなってしまう。
 
精神科医の人と話をしていてお笑い芸人を目指す人の特性について聞いた。即答で「人間不信でしょうね」と言われた。笑うという反応は人間の中でも嘘のつきにくい反応なのだそうだ。クラスの人気者とかイケメンとかで満たされている人に面白い人いなくないですか?」と聞かれ妙に納得してしまったのである。
 
確かに、前より生活に困ることはなくなった。でも、幸福感はさほど変わらないんだ。春日はずっと楽しそうで。若林はずっとつまらなさそうだった。ここに何かの鍵があるような気がしていた。ぼくは春日が子どもの人気があるのは見た目にインパクトがあるからだと漠然と思っていた。しかし、見た目は関係なかった。春日という男は自分に自信があり余裕がある。子どもたちはそれを感じ取って春日に集まっているのではないか感じた。また、逆にぼくの息苦しさも同時に子どもたちは感じ取っているような気がした。
 
とんでもない天才と言われている人が、人からの称賛を求め、自己顕示欲を満たすために猛烈な努力をしていたりする。その根底には、孤独や、埋めることのできない欠落感があったりするように感じる春日は正直本当に面白いことを言える人間じゃないと思う。でも、すごく面白い人間だと思う。それを、子どもの集まらないぼくは真顔で見て楽しんでいる。自分に自信があって、特別、自己顕示するために自分を大きく見せる必要のないマトモな男だと思う。ぼくは、とことんマトモになって幸福だと思ってみたい。できるなら、上昇しつつ。ぼくは春日に憧れている

 

……ワタシは社会人大学 オモシロ学部 留年中、だな。(笑)オススメです!(・∀・)

 

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完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)
 

 

「大江戸の飯と酒と女」(安藤優一郎)

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大江戸の飯と酒と女 (朝日新書)

大江戸の飯と酒と女 (朝日新書)

 

いつも思うんだけどケータイもパソコンも手放して江戸時代に戻りたい……そうでなければ「エロ時代」に行きたいね。(笑)(・∀・)

 

さて、この本。「泰平の世を謳歌する江戸は、飲食文化が花盛り!田舎者の武士や、急増した町人たちが大いに楽しんだ。武士の食べ歩き、大食い大会の様子、ブランド酒、居酒屋の誕生、出会い茶屋での男女の密会──。日記や記録などで、100万都市の秘密を明らかにする」そのエッセンスを紹介しよう。

 
江戸では朝に米を炊いて味噌汁と一緒に食べた。昼は冷や飯で済ませるが、おかずとして野菜や魚を食べた。夕食は冷や飯を茶漬けにして食べ、こうのものを添えた。一方、京・大坂では昼に米を炊き、煮物や魚類、味噌汁など二、三種類のおかずを添えた夕食と朝食は冷や飯に香の物だった。
 
江戸のファストフードの双璧と言えば、蕎麦と(握り)寿司だろう。寿司屋は一つの町に一、二軒あり、蕎麦屋以上の隆盛ぶりだった。握り寿司が登場するのは文政年間(1818〜30)に入ってからでありその歴史は新しいそれ以前は馴れ寿司」「押し寿司」というスタイルだった。
 
・雑穀類を常食とした農村部とは対照的に、江戸では白米が常食だったが、看過できない問題が「江戸煩い」いわゆる脚気だ。
 
・古来、日本料理では旨味を出すための出汁として椎茸や煮干しが使われてきたが、江戸時代に入って大きく変貌を遂げた出汁としては、鰹節と昆布の二つが挙げられる。
 
鶏は江戸初期の頃はあまり食べられなかった。鶏の鳴き声には太陽を呼び戻す力があるとされて、神聖化されたことも多かったようだ。鴨・雉・鷺・鶉(うずら)・雲雀(ひばり)など様々な鳥が食用だった
 
ブランド野菜と諸国の果物」「砂糖国産化の悲願」「幕府と居酒屋と料亭と」「盛り場の飲み食い」「百花繚乱、色濃いの秘密」など。

 

いいなあ……江戸時代!戻りたいなあ……タイムスリップしたいね〜!オススメです。(・∀・)

 

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大江戸の飯と酒と女 (朝日新書)

大江戸の飯と酒と女 (朝日新書)

 

 

「雨にぬれても」(上原隆)

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雨にぬれても

雨にぬれても

 

ふっと自分の人生を振り返ると(……大袈裟な……(笑)) 決してエリートではないので、フツーの、庶民の、目線で生きてきたような気がする。だってフツーの人だもん!(笑)

 
上原隆さんの文章を読むたびに、そーそー!よく言ってくれた!こういうことを表現したかったんだよ!と思う。文章でも、歌でも、詩でも。(・∀・)
 
アルコール依存症で兄を亡くした弟、二人で頑張っていたが社長に自殺された女性、戦争中、学校に行けず夜間中学で字を学びなおす六十九歳の老人、家族を捨てホームレス生活をしながら夢を追い続ける四十二歳のお笑い芸人。人々の「生きる」姿にきっとあなたも励まされる。思わず涙が出て心がスッと軽くなるコラム・ノンフィクション待望の第三弾」そのエッセンスを紹介しちゃおう。
 
 
26年共にいた社長と会社を失った「墓まいり」生徒は6人平均年齢72歳の「夜間中学」、つらさって失恋?結婚相談所」、42歳ホームレスのお笑い芸人「オーディション」アルコール依存症の兄の死「家族」、42歳閉経後の恋愛エジプト人の彼」、倒産しても社長を誰も恨まなかった「お金」大洋ホエールズ近藤和彦ファン?「デート」、「日本で最初の女性映画監督=中村麟子さん」千駄ヶ谷の靴磨き「場所」、母親の借金で縁を切る「母と娘」、カメラのニシダテレビドキュメンタリーのその後」、ダンディズムの追求ボルサリーノの帽子」別れさせ屋「消えた探偵」ブレイクした脚本家「夢の行方」、「つ・ら・さ」の舟越桂森の奥へ」、まるます家「とりあえずの幸せ」、ギタリストを探して=小柴康夫」、笑わせることはむずかしいシナリオライター、それは良かった?「女たちよ」
 
フツウの人をフツウに描いて、それがおもしろく読めるというのはほとんど奇跡に近いことだと思う。なぜなら「フツウの人」とは、言い換えると、とりたてて書くに値しない人々のことだからだ。

 

いいなあ……フツーって素晴らしいよね。このシリーズ、ずっと続いてほしいなあ……。オススメです。(・∀・)!♪

 

雨にぬれても

雨にぬれても

 

 

「若い読者のための第三のチンパンジー 人間という動物の進化と未来」(ジャレド・ダイアモンド)

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 ビックリだね〜!!!チンパンジー(コモンチンパンジー)、ボノボ(ピグミーチンパンジー)と人間の遺伝子はじつに「98.4%」が同じなんだって。人間は「第三のチンパンジー」!!!たった「1.6%」の差異が、なぜここまで大きな違いを産み出したか? 分子生理学、進化生物学、生物地理学等の幅広い知見と視点から、壮大なスケールで「人間とは何か」を問い続けるジャレド・ダイアモンド教授の記念すべき第一作が、より最新の情報をふまえ、読みやすくなって登場!「人間はどこまでチンパンジーか」改題。そのエッセンスを紹介しよう。

 
 
人間はどのような動物にも似ていない。同時に私たち人間は、大型哺乳類の一種というれっきとした動物でもあるのだ。人間の特徴をめぐるこうした矛盾が、私たちの興味をそそってやまない。ただ、この矛盾がどのような意味を持ち、どうしてそうなったのかについて理解することは決して容易なことではない。もし宇宙人の研究者が人間を目の当たりにする機会でもあれば、人間はコモンチンパンジーボノボに続く、三番目のチンパンジーとただちにそう分類されてしまうだろう。人間とほかの二種類のチンパンジーだとのあいだでは、構成する遺伝子の98%以上が共有されている。
 
 
こんど動物園を訪れたときには類人猿の檻の前に行ってみて、こんなふうに想像してみてほしい体毛をほとんどなくした類人猿、その隣の檻には、不幸なことに服をなくして口をきくこともできないけれど、それ以外の点ではまったく正常な人間たちが閉じ込められている。そのうえで、類人猿と人間では遺伝子はどのくらい違っているのは考えてみてほしい。ヒトはチンパンジーとは98.4%のDNAを共有し、チンパンジーこそヒトにもっとも近い種にほかならない。そして見方を変えれば、チンパンジーにとって、彼らにもっとも近縁の種とはゴリラなどではなく、遺伝子的には私たち人間なのである
 
5万年前までの世界には3つの人類集団が存在していたことがわかっている。ヨーロッパと西アジアにはネアンデルタール人アフリカにはますます現代人に似てきた人々が住み、そして、東アジアには三番目の種に相当する人たちが生息していた。こうして大躍進への準備は整えられた。そして、躍進へと踏み出していったのはどの集団だったのだろうか。
 
私たちの領土拡大は、ただ未開の地に移動していくことを意味しない。それは、あるヒトの集団が別の集団を征服して追い払うとか、あるいは殺害することでもある。ほかの集団の領土を植民地にするとそこに定住し、武力や政治力による支配を打ち立ててきた。私たちは未踏の世界だけでなく、互いの集団にとっても征服者だったのである。この領土拡大を通じ、人間の持つもうひとつの特徴が明らかになっていく。自分と同じ種の仲間を大量に殺害するという性質だ。互いに殺し合うというヒトの性向こそ、種としての私たちに衰退をもたらしかねない理由のひとつなのである。
 
フローレス島の小人」「なぜ男性は女性より体が大きいのか」「浮気の科学」「新しい言語はどうやって誕生するのか(ピジンクレオール」「芸術の起源」「農業がもたらした光と影」「なぜタバコを吸い、酒を飲み、危険な薬物にふけるのか」「最後のファーストコンタクト」「植物の力(トウモロコシの栽培化)」「ジェノサイド(大量虐殺)は人間の発明か」など。
 
人間と地球と生命の壮大なドラマをこれだけわかりやすく学べるなんてウレシイよね。何度も何度も繰り返し読みたいです。超オススメです!(・∀・)

 

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