「いま、最も好きな著述家は誰ですか!?」という質問を受けたら、東野圭吾さん、岸本佐知子さん、秋川滝美さん、など浮かぶが、やっぱりほしおさなえさんだろうなあ。(=^・^=)
『活版印刷三日月堂』では活版印刷を、『紙屋ふじさき記念館』では紙小物と和紙の世界を、『言葉の園のお菓子番』では連句を、『菓子屋横丁月光荘』では古民家を、『三ノ池植物園標本室』では植物標本と刺繍を、『まぼろしを織る』では染織を、『琴子は着物の夢を見る』では着物を、『銀河ホテルの居候』では手紙を、と異なる和のテーマを展開する。リアルな表現力は、まるで実在しているかのよう。じわじわとハマってしまっている。
さてこの本。ほしおさんの中でも登場する目に見えない世界のハナシ。
「見えないけれど、どこにでもいる。植物の妖怪とも称されるウツログサ。多くは無害だが人についたものは宿主の欲望を読んで成長することもある。ニュータウンのひかり台でウツログサを祓う男と、それに囚われた人々の心のうちをあざやかに描く」そのエッセンスを紹介しよう。
・わたしがこの団地にやってきたのは、六歳のときのことだった。 横浜から電車で数駅の「ひかり台」というニュータウンで、 老人とも言える年齢不詳の男といっしょだった。 血縁ではなく、わたしに祓(はら) い師の素質があるから引き取ったのだと言っていた。 それ以前の記憶はない。親や親戚のことも覚えていない。 両親は火事で死んだらしい。 わたしだけが奇跡的に助かったが、 火事のショックで記憶を失ったのだろうという話だった。 ほとんどのものが焼けて、 残っていたアルバムにあった一枚の写真だけ、 あとで男から渡された。
・わたしを育てた男は、わたしを「笹目」と呼んだ。 それがもとの名前なのかは知らない。 彼がつけた名前だったのかもしれない。男は祓い師で、 どこからかやってくる依頼を受けて、 ウツログサというものを祓っていた。
男に家族はなく、勤めもなく、祓い師の仕事で身を立てていた。 祓い師はたいてい長命で、 話によれば男ももう百年以上生きているらしい。 最初は家族もいたがみな死んでいき、ひとりになった。 長命だが死なないわけではなく、 年を取るのが人よりゆっくりなだけ、いや、 もしかしたらもう半分死んでいるのかもしれないが、 と笑っていた。
男はゆっくりだが老いていっていた。そんなとき、 わたしと出会った。祓い師の仕事で知り合った医師が、 男を火事で両親を失ったわたしと引き合わせたのだ。 わたしに祓い師の能力があることを見取り、 人生の最後に弟子を育てようと決め、男はわたしを引き取った。
祓い師の能力とはなにか。それはつまり、ウツログサが見える、 ということだ。 うの人たちには見えない、虚ろの生き物である。 建物や場所につくものもあれば、空中を浮遊するものもある。 人や生き物についているものもある。自分で動くものは少なく、植物や菌類に似ているので、 わかりやすく植物の妖怪のようなもの、と説明する祓い師もいる。
・とにかく、わたしはいまも祓い師を続けている。 男に習ったように薬を作り、依頼がくれば遠出もする。 団地で暴走しそうなウツログサを見つけたら、 薬を打って祓うこともある。時おり、 わたしを育てた男はどれくらい生きていたのだろう、と思う。 わたしはあとどのくらい生きるのだろう、とも。そして、ウツログサとはなんなのだろう、と考える。 答えは出ない。わたしにできるのは、ウツログサを祓うことだけ。 ひとりきりで生きて、ウツログサを祓う。そのときが来れば、 男と同じく砂のように消えるのだろう。
・「植物やキノコやカビに近い。 だから植物の妖怪と説明する人もいる。 わたしたちはウツログサと呼んでます」ウツログサ。虚ろの草ということか。
・むかしからどこにでもあるものですから。 妖怪みたいに自分で動かないから、 怖がる人が少なかったんでしょうね。 だからあまり知られてはいませんが、見える人はいた」
「そうなのですか」
「街が夜もあかるくなって、 妖怪と呼ばれるものたちは居場所を失ってしまったのかもしれませ んね。いても姿を隠しているとか、 別の形に変化して人にまぎれているのかもしれませんが。 ともかく、わたしにはそういうものは見えません。でも、 これは光を怖れないみたいです。目がないですからね。 まわりに人がいることも気にしません。だか
らいまもたくさんいます。巨樹のように大きなものもありますし、 形はいろいろです。
・「世の中で、ときどきわけのわからないことが起こるでしょう?突然会社が傾いて潰れてしまった、とか。 そういうときにウツログサが関係していることもあります。 先日はあるマンション全体に赤いウツログサがはびこってしまいま してね。住人たちがみなおかしな夢を見るようになり、 健康を害してしまいました」
・「たぶん君はだれともぶつからないように生きてきたんだと思う。 やさしいとも言えるし臆病だとも言える。そして受け身だ。 自分から動こうとはしない。植物みたいに、 日差しを受ければのび、 日差しがなくなればその場でしおれていく。だれも責めはしない。いま考えてみると、 僕は君のそういうところに惹かれたんだと思う。 考え方もものごとの捉え方も、僕とはまったく異質のもので、 どういうことなのか知りたかった」
知りたかった、という言葉におののいた。
・「植物っておとなしいものだと思うだろう?でも僕はちがうと思う。熱帯で遺跡をのみこんでいく植物を何度も見た。石の間に根が割りこみ、 隙間を広げていく。やがては全部森に包まれる。 ほかの木にからみつき、絞め殺す蔓植物もある。 動かないように見えるけど、ゆっくり動いているのと同じ。 動かないけど獰猛だ」 そのとき、爪からのびた草がくるくると彼の腕にからみついた。
「君は僕を束縛しない。それでいて、 君といるといつも縛られているような気がする。
錯覚かもしれないけどね。それとも僕の願望なのか」彼は海を見ながら、あきらめたように笑った錯覚でも願望でもない。わたしではなく、 わたしの草がいつだって彼にからみついている。
・「ふつうの人には見えない。でも存在している。 妖怪と似たようなものだと言う人もいます。 ただこれは自分では動かない。植物やキノコ、 カビに似た存在です」
「植物の妖怪…………………?」
「まあ、そのようなものです。むかしからこの世にいて、 いまもいたるところにいます。地面のシミのように見えるものから立体的なものまで、 形はいろいろです。地面や木から生えているものもあれば、 あなたのこれのように人につくものもある」
・歩きながら、結局、文字とは、言葉とはなんなのか、、と思った。 空も大地もそこに生きるものも、人の作ったものではない。だが、 街を歩いていて目に映る大半のものは、 人が作ったものだ。建物も、道も、店で売られているものたちも。 言葉や文字もそうしたもののひとつで、人が生み出し、 記したものだと思っていたが、ほんとうにそうなのだろうか。
・この世界には、言葉という目に見えない生き物が漂っていて、 それが人の身体にはいりこみ、 共生するようになっただけなのではないか。考える、 という行為は、 ほんとうは言葉が自分を増やすためのものなのではないか。 体内でウィルスが増えていくのと同じように。 文字はその生き物が形になったものなのかもしれない。 ほんとうはもっとわ
けのわからないもので、 人と暮らすうちに人が記すことができる姿に変形しただけなのかも しれない。
・「ええ。 自分の身体のなかで自分で見える部分はかぎられています。 背中も見えないし、顔も見えない。ツヅリグサは鏡には映りませんからね」
・言葉というものは、わたしたち人間の道具のように見えるが、 長く世界にあるうちに
魔力のようなものを帯び、見えない世界に深く根を張っている。 そうした魔物のようなものにまみれるのが学問であり、 そこで生きるためには、ほかのすべてを捨てる覚悟が必要だ。 それは、自分自身もまた、 世の人々とは異なる者になることを意味する。 そのような生き方ができるとは思えなかった。
・「わたしたちのあいだでは、 遺伝ではなく、風土病のようなものなのではないか、 と言われています。その土地の土か、水か、 どこかにウツログサのもとがあるんじゃないかと。」
・本は夜のあいだに読み終わってしまい、 少し寝不足なまま学校に行った。昼休みに図
書室に行き、本を返す。司書の先生に感想を話すと、 先生が次の本を薦めてくれた。それから本というものにはまった。 こんなに長くておもしろい物語をタダで楽しめるのは驚きだった。 本は便利だった。家で読めるし、音も出ない。昼休みに借りられるのもよかった。学校の帰りにどこかに寄るのは無理だったから。本を開くと別の世界に行けた。それはすごく不思議なことだった。 本には文字がならんでいるだけだ 。読みはじめるとその向こうに扉が開いて、ちがう世界にはいりこんだみたいになる。本に集中しているあいだは 、現実のことも忘れられた 。
「ビブリオバトル」というのがあるんだね。φ(..)メモメモ
「アナホコリ」「オモイグサ」「ツヅリグサ」「ウリフネ」「ヒカリワタ」の五編とも、リアル感がある。著者は、ウツログサが見えているんじゃないだろうか。ファンタジーと呼ぶには生々しすぎる。ほしおさなえワールド炸裂っ!!!超オススメです。(=^・^=)