いま、もっとも夢中になっている作家がほしおさなえさん。ある意味、恋をしているのだろ思う。ほしおワールドにハマって抜け出せない!!!(笑)
「言葉を紡ぎ、人と繋がり、心が触れ合うなかで何かが変わっていく──。『活版印刷三日月堂』の著者が心を込めて描く大人気シリーズ、第6巻。
亡き祖母が通っていた連句会「ひとつばたご」と出合って二年半。ブックカフェで働き連句を続けながら得た新しい縁は、一葉をはじめての世界へと導いていく。そんななか、文芸マーケットへの参加や雑誌作りを通して、漠然と抱いていた想いの輪郭が少しずつ見えてきて─自分はどこに行きたいのか。何ができるのか。ほんとうに大切なこと、大切な場所とは?言葉に気持ちを載せ、人と繋がり、自分を見つめて前へ進む主人公の歩みに励まされると共感の声が届き続ける、大人気シリーズ待望の第六弾」そのエッセンスを紹介しよう。
・「そもそもモノクロ写真って変なものなんだよ。 特殊な色覚の人もいるけど、多くの人にとって世界には色がついている。 モノクロの世界なんて現実では見たことがない。 目で見ている世界とはちがうのに、すごくリアルなんだ。 手触りが伝わってくるみたいで。 その質感を生み出しているのが無限のグラデーションで、そこに 憧れたんだよね」
・「複製できない?」驚いて、わたしは訊いた。 「そうだよ。そのころは板に薬剤を塗って、 一枚ずつ感光板を作ってたんだ。 それを木の暗箱に取りつけて撮影して、 現像したものがそのまま像になる。その一枚しかできない。 露光時間も長く必要で、 初期のころは十分とか二十分かかったらしいよ。 被写体はそのあいだ動けないんだ。 レンズと薬剤の開発でそれが一分から数十秒になって、 肖像写真が撮られるようになった」
感光板を自分で作っていた? だが、そもそもそのころは写真という技術自体がなかったんだ。 まさに発明。無からなにかを生み出す偉業である。
「とにかく、感光板からはじまって、 フィルムというものが開発されて、引き伸ばしたり、 焼き増ししたりできるようになって、サイズも小さくなって……。機械の方もだんだん小型化してこのサイズになって、ふつうの人が持ち歩けるようになった。 そこまで長い歴史があるんだよ。 光学カメラとしてはこの形は本来の形というより、 むしろ最終形態に近いと思う。 このあとデジタル技術が導入されていくけど、 それはまた別の話で」
・そういえば、 小さいころに散歩に行くときも父はこんな感じだった。 散歩のときはいつもカメラを持っていて、あちらこちらで止まってはいろいろなものを撮っていた。いくつかまわりの坂を撮影したあと、 お化け階段から異人坂へ向かった。
お化け階段という名前は、 のぼりとくだりで段数がちがうというところからついたものだが、 途中で折れ曲がって見通しが悪く、 むかしは薄暗く不気味な雰囲気だったことも関係しているんじゃな いか、と父は言っていた。いまは改修されてあかるくなり、不気味さはない。ただ、 段数の不思議はいまも変わらない。 子どものころ父と散歩していたとき、 のぼりは四十段なのにくだりは三十九段なんだと聞いて、 いっしょに試した。するとたしかにのぼりは四十段、 くだりは三十九段で段数がちがうのだ。
・誘われて写真部の部室に行き、 暗室ではじめて現像というものを見たときの驚き。 光を当てた印画紙を現像液に浸け、 しばらくすると少しずつ像が浮かびあがってくる。 その不思議がみずみずしく描かれている。写真に関する描写だけでなく、 当時の大学の様子もすごく新鮮だった。 写真部がはいっているのは木造の古いサークル棟だったらしい。 建物はボロボロで、当時は夜間も門が開放されていたから、 そこに住み着いている学生もいたようだ。
・「人間はわからないものに惹かれるものですからね」文芸マーケットのときの航人さんの言葉を思い出した。「人は死ぬまで自分のこともわからないんだよねえ。まあ、 だから生きていられるのかもしれないけどね」
・子どものころは、大人になったらなんでもわかると思っていた。 でも全然そんなことはない。わからないものがたくさんある、 ということがわかっただけ。世界はわからないことでできていて、 わたしたちはそのなかを歩いていく。
連句はみんなで巻くものだけど、句を考えるときはひとりだ。 ひとりの時間があって、みんなで句を出して、 ほかの人の心のうちに触れる。ひとりひとりがみんなちがうのだ、 ということを知り、でも奇跡のように響き合ったりもする。人と人がわかりあうことはむずかしい。 でもたまにこうして響き合う。連句はそういう奇跡のような瞬間をつなげていくものなのかもしれない。
・「ほんとに、あの会場はまさにこんな感じでしたね。 情熱が詰まっていた。冬星さんはよく言ってたんです。 俳諧は町人文化だった。 江戸時代には町のあちこちで町人が俳諧連歌を楽しんでいた。 いまも短歌や俳句を楽しむ人がたくさんいるんだから、 連句ももっと流行っても良いと思う、って」 「そうですね、 人間っていうのは言葉で遊ぶのが好きなんでしょうね。
・「わたしにはとてもできそうにないですけど、蛍さんなら……できる気がします」「そうですね。蛍さんはなんていうか……」大輔さんが考えこむような表情になる。「若いけど、もう、ひとりの表現者、っていうか……」「そうなんです。実はわたしもまったく同じことを感じてて……。年齢とは関係なく、表現者としか言いようがないんですけど」
「なんとなくわかりますよ。自分のなかに軸があって、 外からの要請では揺らがないというか」
・大輔さんによると、 大森駅の商店街から線路沿いの狭い路地に下りる階段があり、 その下に小さな居酒屋がひしめいているのだそうだ。「そこがむかしから『地獄谷』って呼ばれているんです。 階段で下がったところにあるから、酔っ払うと上に戻れない。 だから地獄谷。昼は単なる狭い路地ですが、 夜ネオンがつくとなかなか魔境感があるんですよ」
・「詩人の場合、 自分の人間性を作品の前面に押し出すタイプの人もいるけど、 そうでない人も多いんですよ。 もっと繊細に言葉の本質に迫ろうとする、というか。だから『 作者の世界』というのともちょっとちがうような気もしますね。 言葉に近づいていくというか……」
・「声の力なんでしょうかね。その人のなかに言葉がある。 最初は外からやってくるものだけど、きっと体内で育つんですね。 それが朗読のとき、その人の喉を通してあふれ出してくる」言葉が外からやってきて、体内で育つ。不思議な言いまわしだが、 連句と通じるものがある。
歌も同じだね。ワタシの「流し」も同じかも。歌の世界をワタシという仲介人を通して思い出を紡いでいく。このシリーズ、ずーっと続いてほしいなあ。ほしいワールド、最高!超オススメです。(=^・^=)