もうすっかり「新型コロナ」の話題が出なくなったね。だいいちワタシが3年前に入院したことも、自分が忘れてるもんね。あれは、なんだったんだろうね!?(^^)
「COVID-19=新型コロナウイルスとは、私たちにとって何だったのか?この3年間、たくさんの失敗をした。挫折もあった。それらを直視する。記憶する。傷だらけで前に進むために」そのツボとコツを紹介しよう。
・だからこそ、この三年間の記憶と重要だ。人は間違える。それは仕方がない。そもそもそれほど賢くない生きものなのだ。でもせめて同じ過ちを何度もくりかえしたくない。その程度の知性は持ち合わせているはずだ。
・人類は長く癌細胞と共存してきた、だからこそ癌に慣れた。想像してほしいが、もしもこの世界にそれまで存在していなかった癌が突然人類の前に現れたとしたら、致死率はきわめて高く全人類の半分以上が高年齢になれば発症する可能性があるのだから、今回の新型コロナよりも申告な脅威になっているはずだ。
・普段は使わない「禍」が、流通する現状は「かつてない事態に自分たちがいる」ことが示されていると解釈できる。あるいは、普段は使わない「禍」を頻繁に目にすることで、「かつてない事態に自分たちはいる」との感覚が社会にフィードバックされ続けている、との見方もできる。
・公園などや駅などのベンチに、あからさまに仕切りが入るようになったのはこの時期だ。今では日本中いたるところで仕切りのベンチを見ることができる。なぜ仕切りを入れるのか。横になれないようにするためだ。なぜか。ベンチで横になるような人は、その共同体においては不審者だ。ならば排除したい。リスクを軽減したい。そうした思いを行政は反映する。こうしてホームレスたちは居場所を失う。
・そろそろ気づいたほうがいい。少なくともミャンマー国軍や中国人民解放軍の現状の振る舞いを見るかぎり、非常時においては国民の命を外敵から守ることよりも、国内の治安維持や統制管理などの優先順位のほうが高いのだ。
・(吉岡忍)医学的・科学的根拠をいっさい示さないまま、いきなり子どもたちの休校要請だったからね。どの学校も大混乱に陥った。それに関連していうと、日本の教育現場はこんなにもIT化が遅れていたのか、ということもはっきりわかった。中国・韓国でもヨーロッパでも、すぐにリモート授業二切り替えていたのに、日本はほとんどできなかったでしょう。端末がない、学校にWi-Fi設備がない。教科書や教材のデジタル化も進んでいない。先生もリモートでどうやって教えればよいのかわからない。文科省から現場の教員まで、教室で集団で相手に教えることが当たり前、という集団主義教育が骨の髄まで染み込んでいるせいだね。情報化社会が宣伝された何十年になるのに、これほどまでに日本の教育は古いままなのかと、これも唖然としてことのひとつだな。
・(森)行政や組織内の手続きで印鑑プロセスをやめようという動きが出ていますよね。どう考えたって、100円ショップでの買える印鑑よりもサインのほうが、アイデンティティを示すうえで有効なはずです。でも日本は印鑑を手放せなかった。世界ほぼ唯一残された戸籍制度もしかり、不合理であったり、不自由であったり、本来変えなければならないものがたくさんあって、それが今回一気に露呈した。逆説的に言えば、今後100年経っても変わらなかったかもしれないものが、一気に変わらざるをえない状況になるかもしれない。
・(吉岡)コロナ禍も、東日本大震災のときも、世の中を揺るがす出来事というのは、その社会の底にあって、表面から隠されていたものが一気に露呈する。今回もこの3〜4ヶ月間、本当に日本の断面が見えたという感じだった。
・いずれにせよ新型コロナも、これから終焉の時代を迎えるはずだ。ならばこの体験をどう記憶するのか。どう語り継ぐのか。そろそろそれを考える時期だ。
数年後、数十年後この「コロナ禍」のことがどう時代は評価するのか、興味深いね。オススメです。(^^)