40年くらいまえに夢中になって読んだ渡部昇一や外山滋比古の本。当時は知的生活に憧れていたなあ。久しぶりに再読しましたよー!名著というのがよくわかった!♪
「外山流・思考術の集大成がここに。経験を軽視し、自分の頭で考えることが苦手になった日本人が自由思考を手に入れるためには?超ロングセラー『思考の整理学』の著者が提案する発想のヒント。「球面思考」「第四人称」「触媒思考」、さらに、「曖昧の美学」「民族論理学」「二次的創造」など」そのエッセンスを紹介しよう。
・知ることと、ものを考えることは、まったく違います。
・天動説を信じている現代人はいないでしょう。 ところが私たちは、いまでも「日が昇る」「日が沈む」 といういい方をやめようとしません。 動いているのは太陽ではなく地球のほうなのに。 せめて天文学者たちは別のいい方をしてもよさそうなものですが。 やはり「日が昇る」といいます。つまり私たちは、 頭では地動説を受け入れても、 日常生活では相変わらず天動説的な感覚を持って暮らしているわけ です。
・それだけではありません。天動説から地動説へ転換する以前に、 人類は地球が丸いことも発見しました。これも、 頭では誰もが理解しているはずです。しかし実際には、 相変わらず自分たちが球面ではなく平面の上で暮らしているように 感じている人がほとんどではないでしょうか。
・どうすれば平面思考から球面思考に脱皮できるのでしょうか。 そこで考えてみたいのが、私たちの言語における人称の問題です。 文法では認められていない「第四人称」 と取り入れることが球面思考の第一歩になります。
・ケンカの周辺には、 そのいずれとも違う立場でそれを見ている人がいます。 とばっちりを受けず、 仲裁に入る必要もない距離から眺めている見物人です。 怒りや恐怖に駆られている第一〜第三人称の人々とは違って、 彼らはケンカを面白がることができる。第一〜 第三人称とはまったく違った見方ができる。「 火事と喧嘩は大きいほど面白い」 というけしからん言葉もうまれたのでしょう。 一般的な道徳とは離れた価値観を持つことができる立場こそが、 ここでいう四人称です。
・「経験は最良の教師である。ただし授業料が高すぎる」( トーマス・カーライル)
・恋愛結婚は、 決して理性的な判断による選択ではありません。 誰を恋愛対象にするかは男性ホルモンと女性ホルモンによるところ が大ですから、思考力は働いていない。 そのため選択ミスがすくなくありません。 以前から恋愛結婚が主流だったアメリカの離婚率が高いのは、 それも一因でしょう。日本も見合い結婚がすくなくなってからは、 離婚率が急激に高まりました。
・ 一六世紀にキリスト教を布教するためにやってきたカトリックの宣 教師も、言葉の問題にさんざん苦労し、ローマ法王に「 日本語は悪魔の言葉である」と報告しました。 日本語の曖昧さです。たとえば、 日本語には一人称や二人称がやたらとたくさんある。 それだけでもわかりにくいのに、 その一人称や二人称をあまり使わない。主語もなければ、 誰に向かっていっているのかも明確ではない。 実に曖昧だ、というわけです。
・「あなた」という二人称は「彼方」に近い言葉ですから、 目の前にいる人に「向こうのほうにいる人」 と敬遠して呼びかけているのです。「殿」や「様」 も直接呼ぶことをさけるようになりました。「殿」は「御殿」の「 殿」ですから、その住居のこと。「様」は「〜のようなもの」。「 机下」は相手の机でも近すぎるから、「閣下」「殿下」も、 どちらも「その建物の下」に向けてという意味です。「陛下」の「 陛」とは、宮殿の階段のこと。そうやって、 当人から離れたものを指して呼びかけるほど、 相手への尊敬が高まります。
・日本人自身が欠点だと思いこんでいる物事の中に、実は高い価値をもっているものがあります。それは日本語の「曖昧さ」です。以心伝心でわかり会える社会では、あまり事細かな表現は嫌われます。わかりきったことを口にするのは相手の理解力を信じていないように思われて失礼になるのです。
・俳句によって曖昧の美学が生まれました。俳句のように言葉の数が少なければ、ヒュお元が曖昧になるのは当然でしょう。つまり、曖昧さを大切にする社会では、言葉数が減る傾向があるということです。
・ヨーロッパの詩が建築的であるのに対して、日本の詩歌は彫刻的です。まず全体像として素材が存在し、そこから削りところを削っていきます。そのようにノミをふるった結果、最終的にエッセンスだけが残るのです。
・アメリカのコカ・コーラが外国で発売されたとき、どこの国でもアメリカのキャッチフレーズ「Drink Coca-Cola(飲めコカ・コーラ)」を訳したのを使っていました。ところが日本では「スカッとさわやかコカ・コーラ」になりました。つまり直訳ではなく意訳を取り、それが一般に好評だったのが注目されます。
『曖昧の七つの型』(イギリスの文学批判家ウィリアム・エンプソン)『富永仲基の『加上の説』』「料理は高度な知的活動(材料を作るのが一般的生産、料理は二次的製造=創造)」など。
素晴らしいなあ、名著だねえ。何度もくり返して読みたいね。再読してよかった!オススメです。(^^)