「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜いかに死と向き合うか!…『死の壁』(養老孟司)

死の壁 (新潮新書)

死の壁 (新潮新書)

三笠宮寛仁様がご逝去された。先日は尾崎紀世彦が亡くなり、そして大学の同級生が亡くなった。誰にも「死」は身近なものであり、誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。


「死の恐怖といかに向きあうべきか。なぜ人を殺してはいけないのか。生と死の境目はどこにあるのか。イラク戦争と学園紛争の関連性とは。死にまつわるさまざまなテーマを通じて現代人が生きていくうえでの知恵を考える。『バカの壁』に続く養老孟司新潮新書第二弾」そのエッセンスを紹介しよう。


・人生でただ一つ確実なことがあります。人生の最終解答は「死ぬこと」だということです。これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。人間の致死率は100%なのです。


・人は青酸カリで殺すことが出来ます。出刃包丁で殺すことも出来ます。「吸血鬼」に出てくるみたいに、木の杭のような原始的な道具だって上手に心臓にぶち込めば殺すことが出来るわけです。簡単に人間を殺すことが出来るこの青酸カリや出刃包丁や木の杭といったものが、人間と比べたらどれだけ単純なつくりのものか。だからこそ仏教では、「生きているものを殺してはいけない」ということになるのです。殺すのは極めて単純な作業です。システムを殺すのはきわめて簡単。でも、そのシステムを「お前作ってみろ」と言われた瞬間に、まったく手も足も出ないということがわかるはずです。


死体には三種類あるのです。「ない死体」「死体でない死体」「死体である死体」の三種類です。英語の「一人称」「二人称」「三人称」と同じ区別をつけて考えることができる。


・まず「一人称の死体」。つまり「俺の死体」です。これは「ない死体」です。実はこれは存在しません。それを見ることはできないのです。


・では「二人称の死体」とは何か。ここで重要なのは、親しい人の死体は死体に見えないということです、それが「死体でない死体」ということです。他人の死体は、「気の毒に」と思うか「気持ち悪い」と思うかはともかく、それは他人のしたいです。が、近くに寄ってみたら自分の身内だとわかったら、その途端に、どんなに相手の反応がなかろうと、抱き上げたり声をかけたりするでしょう。「二人称の死体」は特別な存在なのです。


「三人称の死体」のみが私たちにとって簡単に死体になります。死体として認識することが出来るといってもよい。


その他こけしと子消しの話」「なぜ人を殺してはいけないのか」「死の恐怖は存在しない」は、なるほど!と思う。


新書なので気軽に読める「死」の本。一度は読んでおいていいかも。こちらもオススメです。


BOOK〜7年前のベストセラー!…『バカの壁』(養老孟司
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100929