ワタシ自身は格闘技はやらないのだが、ジャンルは問わず闘う男、強い男は好きなのだ。双葉山、大鵬、北の海、力道山、大山倍達、木村政彦、芦原秀幸、白井義男、ファイティング原田、具志堅用高などなど。そしてピストン堀口!あの伝説の「拳聖」の評伝がこれだ。そのエッセンスを紹介しよう。
・堀口恒男が事故死をとげたのは、昭和25年10月24日未明。 私がこの事故について偏執狂的になるのは、 堀口の死が長いボクシング生活の後遺症で列車事故を招いたという 説が定着しているからだ。いわゆる“パンチドランカーの死” である。しかし、これには疑問がある。新聞の扱いのように、 堀口はなお現役のボクサーとみなされていたし、 それが列車も避けられないほどの重症のドランカーであったなどと いうのは、ボクシングをおとしめるものだと思う。 そして偉大なボクサーの死の風景をきちんと定着させたところから 、私の「ピストン堀口伝」を書いていきたいのである。
・「柔道は一本取られたら、それきりだ。 もっとやろうと思ってもやらせてくれない。 一本取られても死んだわけではないのに、やれないのはおかしい。 その点は、 ボクシングは倒れても倒れても仮死状態になるまでやれる。 こっちの方が本物だ。一本取られてもすぐ止められる柔道なんて、 武術としてはインチキだ」
・昭和8年、狭量な民族主義の流れが全国にあふれ返り、 すべてをのみこんで大きな洪水となり、 不幸な戦争へ雪崩込んでいこうとする時代であった。 こうした極端なナショナリズムの勃興を背景に、 フランス人ボクサーと戦うボクシングという競技にはやみがたく民 族の血をたぎらせるものがあったのは自然なことだっただろう。
時代とともにヒーローが現れるんだね。いまでいう大谷翔平か。忘れてはならないよね。オススメです。(・∀・)