「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人生に効く漱石の言葉」(木原武一)

明けまして お目出度うございます。 今年もよろしくお願い申し上げます。m(__)m
 
この「感動の仕入れ 日記」ブログも十八年目に突入しました!エースナンバーの「18」番!!!ワタシは歳男!60歳の還暦を迎えますっ!!!さあ、今年の一発目、行ってみよう!!!


「迷ったとき、悩んだときは、漱石流でいこう!「生きていることが奇跡」「人間は恥をかくために生まれてきたようなもの」「世の中に片付くものなどありはしない」「自由になるのは自分の心だけ」等々、文豪が一生をかけて残した言葉には、時代に関係なく通用する、物事の本質を見通す力が宿っている。漱石の生涯をなぞりながら、その時々の印象的な言葉と効用を紹介。生涯49年分の名言を、丸ごとあなたの手に」そのエッセンスを紹介しよう。
 
いったい自分は何のために生きているのか。何をするために生まれてきたのか。夏目漱石の小説世界に流れる最大のテーマはこの質問に要約されている。漱石はその作品全体によってこの問いかけに答えようとしたのである。
 
ラ・ロシュフコー「太陽も死もじっと見つめることはできない」と言っているが、人生の意味への問いかけも同様である。見つめてはいけない太陽が頭上に輝き、その光のもとでわれわれは生きている。その見つめてはいけない太陽の光にこそ、人間を生かし、人生を豊かにするものが秘められている。それをわれわれの視力に耐えられるように示すのが文学の役割なのではなかろうか。
 
・「貴方(あなた)どうかしていらっしゃるのよ」
「やっぱり神経衰弱の所為(せい)かも知れない」
 
漱石吾輩は猫であるなどを書くことができたのは、神経衰弱と狂気のおかげだと言っているが、この自嘲的な言葉に、実は、漱石の創作の秘密というか真相が隠されているのである。神経衰弱とのたたかいこそ、創作の原動力だったのである。ものを書かずには、神経衰弱に押し潰されたかもしれず、漱石は小説を書くことによって、心の病をいわば飼い慣らしていたのである。
 
神経衰弱は文明の流行病である。(『虞美人草』)
 
文明の進歩が人間の競争心をあおりたてて、人間を疲れさせ、その結果、神経衰弱になる人間が増えるというわけである。文明開化のために、日本人は心の安らぎを失ったとも言っている。このような状況はその後も引き継がれ、あらためて指摘するまでもない二十一世紀の常態となっていると言ってよい。
 
片づけたくとも片付かないものがたくさんある。部屋の掃除や、人間関係。身近なものに、例えば、針箱。江戸時代の川柳にこんな句がある。
 
針箱の内は一生かたづかず
 
もう半世紀も昔のことになるが、私の子供のころ、ほとんど毎晩、母は針箱(裁縫箱)を取り出して、針仕事していたものだった。針箱や人生はなぜ片付かないのかたえず動きのなかにあるからである。片をつけるとは、どこかに固定して、動かないようにすることである。女性は結婚して、特定の男性のもとに嫁(かたづ)く。訴訟は判決が出て、方がつく。邪魔者は命を奪われ、片づけられる。世の中、いつもこんなふうに落着するとは限らない。大部分の事柄は、片付かないまま、流転する。そもそも人間は完全にものごとの片をつけることを望んではいないのではないだろうか。多少の自由というか『あそび』を残しておきたいのではないだろうか。

 

久しぶりに今年は、漱石を再読してみよう。オススメです。(・∀・)♪