若いときは、魚といえばマグロが好きだったけど、40代のころからダントツで好きになったのが「サバ」だ!!!巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が「魚へんにブルー」といったのは記憶に新しい。(笑)古いかっ!!!
さて最近、ご紹介でご縁をいただいた経堂駅前のイベント酒場の「さばのゆ」の須田泰成さん。コメディ作家、放送作家で、「経堂系ドットコム」も運営している。
さっそく飲みながら、お話を伺う!♪
このビリアニプレートに、びっくり!ウマいわー!!!いいわー!これおつまみにサイコーだね〜!♪
せっかくだからサバ缶も食べなきゃ!ということで食べたら、なんだこりゃ!!!!ウマい、美味すぎる!!!こんな美味しいサバ缶、食べたことないわー!!!!
あんまり美味しいものだからおかわりしちゃった!!!!
お話が面白くて、盛り上がって、さっそく11月15日(水)19時〜に「さばのゆ」で「流し」のイベント決まりましたー!!!絶品のビリアニプレート付きチャージ1500円+大人の投げ銭です!♪ お待ちしています。詳細はまた連絡しますー!♪
さて、この本。なんで「サバ」なのか?なぜ銭湯じゃないのに「さばのゆ」なのか?なぜ経堂なのか?感動したわー!!!こんなドラマがあったなんて!
「石巻の津波で泥に埋まった缶詰を掘り出し、1つずつタワシで洗って売った22万缶!世田谷区経堂にあった“長屋の助け合い精神”会社存続の危機を乗り越えた「人のつながり」と復興の足跡」そのエッセンスを紹介しよう。
・2011年3月11日。
木の屋石巻水産の缶詰工場を壊滅させました。
工場跡地に埋まっていたのは、泥にまみれた缶詰でした。
掘り出された缶詰は、震災前からつながりのあった
東京・世田谷の住宅街、経堂の街に運ばれ、
商店街の人々によってピカピカに磨き上げられ
1缶300円で販売されました。
三陸の海の幸が詰まったその缶詰は、
「希望の缶詰」と呼ばれるようになり
たくさんの人をつなぎ
22万缶もが、掘り出され、洗われ、販売され
工場再建のきっかけとなります。
この物語は、
過酷な震災に直面しながらも希望を忘れなかった人々と
手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった、
リアルな物語です。
・自己や災害、あるいは旅先などの非日常時になると、人間は「 地」 が出るというか本来の持って生まれた性格があらわになると言われ るが、地域もそれと同じだと思った。 災害をきっかけに住人同士の仲や治安が悪くなる地域もあれば、 結束が強まる地域もある。経堂の場合は完全な後者で、 仲のいい商店街の個人店は、みごとに助け合いモードになった。 まるで落語の長屋のような人情の街、 被災地の惨状を見聞きしていると、 いても立ってもいられなくなる人が多かったのだ。実は、 落語の長屋のような街というのは、 私が経堂にハマった理由でもあった。
・「避難所には、水も食料もなく、 3日間で食べたのがビスケット3枚だったんです。でも、 人間の生命力はすごいもので、6日経って体重計に乗ったら、 1キロも変わってませんでした!」鈴木さんの鉄板ネタだった。
・「悲しみをシェアすれば、半分になる。喜びをシェアすれば、 倍になる」
・「どうして私たちは、あんなに熱くなって、 泥まみれの缶詰を掘って洗って、希望、希望と良い続けたのか?」
たんに美味しいからだけど、あんなに大勢の人が長期間、 献身的に動くとは思えない。希望の缶詰の希望とは、 いったい何だったのだろうか?
何度目かの製造ラインの見学に行った時だった。 そこでは工場勤務の女性たちが、 黙々と缶詰に切ったサバを詰めていた。そして、 休憩時間になると、作業服とマスクを脱ぎ、 カフェスペースで弁当を食べ、 宮城の方言でよもやま話がはじまる。子どもの話をする人、 うちの父ちゃんの話しをする人、 どこそのスーパーの服が安かったと話す人、 体重が増えて困ったと笑う人……。
幸せな日常の光景だった
そこで気づいたのは、 この光景こそが希望そのものだということだった。
仕事があるから、お金がもらえるし、食べていけるし、 楽しい話もできる。そして、 全国の人たちも美味しい缶詰を食べることができる。
私はいつまでもいつまでも、食べ続けたいと思った。 この工場で女性たちが日々、黙々と詰めてくれる、希望を。
「「からから亭」再生案」は、感動するなあ!!!閉店しちゃったみたいだけど。
この本で事前に予習をしてから11月15日(水)「流し」に来てね。超オススメです!(・∀・)