鈴木亮平の主演で話題になっていたこの映画。もう5年くらい映画を観ていない。2時間観ることがいつのまにか苦痛になってきたのは、なぜだろう!?気にはなっていたので、本で読むことにしました。(・∀・)
「母が死んで、『死にたい』と思っていた僕の何かは死んだ」。14歳で母を亡くした浩輔は、同性愛者である本当の自分の姿を押し殺しながら過ごした思春期を経て、しがらみのない東京で開放感に満ちた日々を送っていた。30代半ばにさしかかったある日、癌に冒された母と寄り添って暮らすパーソナルトレーナー、龍太と出会う。彼らとの満たされた日々に、失われた実母への想いを重ねる浩輔。しかし、そこには残酷な運命が待っていた・・・。龍太と母を救いたいという浩輔の思いは、彼らを傷つけ、追いつめていたのか?僕たちは、出会わなければよかったのか? 愛とは、自らを救うためのエゴだったのか?浩輔の心を後悔の津波が襲う。人は誰のために愛するのか。賛否両論渦巻く、愛のカタチ」そのエッセンスを紹介しよう。
・僕と父と龍太は、みんな違う人間で、みんなおんなじだ。
僕の母と龍太の母は違う人間で、みんなおんなじだ。
大事なんだから、しょうがない。しょうがないから、 やるしかない。
・話し続ける龍太の首すじの匂いを吸い込みながら思う。 わかっている。これは、もう、恋じゃない。でも、愛だなんて、 恥ずかしくて、とても言えない。自分が好きで、していることに、 愛なんて言葉、使えるわけがない。
・僕は、自分の物語のために、龍太を金で買った。 それはどこまでも傲慢な行為だと知っている。けれど、 龍太の母はとは違って、まだ生きている。 まだ生きている人のために、 違って他人の僕が何かしたいと思うのは、 やはり傲慢なのだろうか。
・ーごめんなさいー
自分の母親の仏壇や墓に手を合わせるときに繰り返す言葉が、 ドアを椅子でぶち破るような音を立てて頭の中で響きわたる。 どうして僕は、 先に死んだ人に謝るような生き方しかできないんだろう。 どうして龍太と龍太のお母さんに、 こんな思いしかさせられなかったんだろう。
・「ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝らないで。お願い。謝らないで。だって私、知ってるから。 あなたが龍太のこと愛してくれていたこと、私、知ってるから」
いろいろと考えさせられるなあ……。そもそも愛ってエゴのような気にするけどなあ。詳しくは書けません。読んでください。結末は悲しいし、切ないなあ。オススメです。(・∀・)