初代・林家三平師匠が、むかし、落語で『源氏物語』をやったときに、作者の紫式部のことを「バイオレット・シーツ」と例えたときは、笑った、笑った!!!(⌒▽⌒)♪
さて、この本。「紫式部は清少納言の敵を討った!?なぜ紫式部は『源氏物語』をあれほどの長編にしながら、光源氏の死にもふれず突然幕を下ろしたのか?なぜ清少納言は物語全盛の時代に、ノンフィクション文学『枕草子』を書き上げたのか?真の意図を見えにくくするために幾重にも張りめぐらされた隠蔽工作。その裏には、共通の敵である権力者・藤原道長への恨みがあった!主人を奈落の底に落とされた哀しみ。横暴な男性社会への呪い。二人の才媛は、いかにして想いを昇華させたのか。これまで数多くの作家・研究者が挑んできた平安二大傑作の謎に迫る」そのエッセンスを紹介しよう。
理解されないということは、はたして、ほんとうに不幸なことなのだろうか。『源氏物語』の長大さは、真実を見えにくくするための隠れ蓑の一種であった。『源氏物語』は稀有な作品である。まず、「理解されることを願わない」という点において、稀有な作品なのである。
・紫式部の不安は、作品に長大さという隠れ蓑を纏わせるだけでは抑え込むことができなかった。彼女には、より完璧な真実の隠蔽工作と最終的な責任逃れのための工夫が必要であった。長い長い、おそらく執筆に要したであろう十年以上の歳月を費やし、苦悩の末に思いついたのが、エンドレスエンドというマジックのような物語集結方法であった。
・『枕草子』は大噴火によって生じた日本一の山・富士山のように孤絶して、屹然とそびえる独立峰である。平安時代の文芸の先端的な表現様式は『物語』であった。『伊勢物語』『竹取物語』『宇津保物語』と続く物語山脈のなかで、世界に冠たる最高峰『源氏物語』が出現する前夜、突如として、清少納言の筆先からノンフィクションの傑作が紡ぎ出されたことは、なんとも不思議なことであった。平安時代は『物語の時代』であった。清少納言が書きたかったこと、ノンフィクションを要求する事情とは、いったいどのようなものであったのか。
・『枕草子』の構造は、比喩的にいえ「三色混ぜご飯弁当箱型」ということになる。類聚的章段、随想的章段、日記的章段のそれぞれの文体の色、三種をいう。これが、一見無造作、無秩序に配列されているので、「混ぜご飯」に譬(たと)えた。清少納言の心のうちには、なんらかの必然があったに相違ないのだが、現存する諸本を見るかぎり。その配列順序は謎に満ちており、配列の基準は解明されそうにない。
・言論の自由、表現の自由の権利など夢にも考えられない時代にノンフィクションを書くということは、きわめて危険な業であることを清少納言は十分自覚していた。その彼女が『枕草子』というノンフィクションの世界を閉じるにさいし「跋文(ばつぶん)」というノンフィクションめかしたフィクションを書いて、目眩ましを敢行したのである。
日本人なら、ちゃんと本格的に読まなきゃね。オススメです。(^o^)