「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「向田邦子の全ドラマ 謎をめぐる12章」(小林竜雄)

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向田邦子関連本の全作品読破を目指しているのだけど、完読まで、遠い、遠い!なかなかゴールが見えてこないっ!死後40年以上経っているのにこの人気はスゴいよね〜!♪(・∀・)
 
 
向田邦子が残した数々の名作ドラマ。そこにはいくつか共通した謎が存在する。なぜ弟は兄を憎むのか。なぜ青年は「他人の家族」が好きなのか。ホームドラマの底に秘められた作家の真実とは何か」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
人生には一つの挫折が大きな幸福に結びつくことがある。向田邦子の人生にもそれがあった。挫折とは推理物は向いてない」と酷評され、テレビドラマを書くことを諦めてラジオの世界に移らざるをえなくなったことである。
 
向田は森繁久彌の中に父・向田俊雄を見ていた。重役氏という人物像を考える時には向田はからなず父のことを思い出していたのではないか、ということである。
 
・向田は世田谷区の若林で生まれたが、ずっと東京で育ったわけではない。父の転勤で早くも一歳になる前に宇都宮の社宅に引っ越し、宇都宮、目黒、鹿児島、高松と四回もかわっている。目黒に戻ってやっと落ち着いたのは、高等女学校に入ってからだった。この度重なる「転校体験」が向田のアイデンティティを不安定にしたのではないだろうか。心の底から“東京人”といえるほど東京に愛着をもっているとは思えないのである。いやもちたいと思ってももてなかった方がいいだろう。
 
向田は“東京”をどのように描いたのだろうか。“東京人”の向田は“東京”という抽象的な「街」ではなく、広い東京の中でそれぞれ違った顔を持った「町」にこだわった。「町」とは人のぬくもりと匂いのある場所、つまり人間臭い場所のことである。彼女が描き出す舞台となる東京の町にはどれも向田の住んだ町の反映があった。
 
・私にとって向田作品の魅力とは、先輩作家の作品を評した向田さんの表現を借りるならば男には分からない女の気持ちがさりげない謎解きの形でちりばめられていた」ということになる。つまりは「女の気持ち」を教えてくれる存在としてあった。
 
向田さんの作品は何よりも“生き物”だった。年とともに作品は変貌し、深く豊かになっていった。向田さんは筋金入りの作家であった。作品の中でこそ己の一番深い部分を語っていたと思えてならない。もしかしたら私は“向田邦子というドラマを描きたかったのかもしれない。
 
 
「なぜ、〈父〉は森繁久彌なのか?(重役読本・だいこんの花)」「なぜ、寺内貫太郎は怒るのか?(寺内貫太郎一家)「なぜ、青年は「他人の家族」が好きなのか?」(冬の運動会カンガルーの反乱)」「なぜ、後妻は先妻に勝てないのか?(せい子宙太郎・家族熱)」「なぜ、女は“阿修羅”になるのか?(阿修羅のごとく)」「なぜ、男は男をかばうのか?(蛇蝎のごとく)」「なぜ、父は〈弱い父〉になったのか?(家族サーカス・源氏物語)」「なぜ、妹は姉を、弟は兄を憎むのかもしれない。(幸福)」「なぜ、〈父〉は愛を告白しないのか?(あ・うん)」「なぜ、若妻は自慰をするのか?(隣の女)」「なぜ、向田邦子は長編小説にこだわったのか?」「向田邦子東京物語 ドラマの舞台を歩く」「鰹節の匂い」など。

 

ここまでくると活字ではなくて映像で観たくなるよね。オススメです。(・∀・)

 

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