「てるてるソング」酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「リンボウ先生のうふふ枕草子」(林望)

 


中学の頃の国語の先生のおかげで、枕草子の冒頭をいまでも暗記している。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」『平家物語』『源氏物語』『方丈記も覚えているわ。感謝だなあ!♪

 

さてこの本。「リンボウ先生枕草子全319段から読みどころを精選。教科書では絶対に教わらない古典の本当の楽しみ方枕草子の作者の清少納言は、ときにエッチで、言いたい放題!」そのエッセンスを紹介しよう。


清少納言ほど口の悪い人もいないなあと、私は枕草子を読むたびに思わずにはいられないのである。
 
・日本の古い言葉には、現代の「朝」にあたる言葉がいくつもあった。あさ、あした、あかつき、あけぼの、あさぼらけ、あけがた、よあけ、あさあけ、つとめて等々さまざまの言葉で朝を表現するのだけれど、これにはちょっとずつニュアンスの違いがあった。
 
まず「あさ」と「あした」。昔の日本人は、朝から始まって昼、夕、宵、と進んでいる時間の流れの感じ方と、宵、夜、夜半(よわ)、と進んでいってその果てに朝があるという感じ方と、二通りの時間の感じ方があった。この朝から始まる場合、その朝を言う時は「あさ」と言ったが、夜から次第に進んでその果てに朝を迎えるときには、これをあした」と言った。
 
「あかつき」は、朝のもっとも早い段階を言う。なにしろ、あかつきやみ(暁闇)」という言葉があったくらいで、まだ真っ暗な時間帯を「あかつき」と言ったのである。これに対して「あけぼの」は、しらじらと夜が明けて来た、そういう時間を指す。やっと空が白んできて、東の山のあたりに光が射してくる、そんな感じの時間なのだ。
 
「あさぼらけ」は、秋か冬、あけぼのは春、というような季節的な使い分けがあったらしい。「あけがた、よあけ」は、さしたる意味の違いはなくて、漠然と朝の時間帯を指すという感じがする。「つとめて」は、もうすっかり朝になって人が動き出している時間帯としての早朝で「あけぼの」よりもさらに遅い時間である。
 
清少納言は、暁に帰るのは男として当たり前かもしれない、けれども、だからといって、何の未練もなく、早々と起きてきちーんと身支度なんかして帰るのは、あまりに冷淡な感じがするじゃありませんか」と言うのだ。やっぱり、なかなか起き難いという気持ちを見せて、いつまでもいっしょに寝床にぐずぐずしていて、いよいよぎりぎりの時間になったら、もうだらしない格好でいいから、身じまいもそこそこに、未練たっぷりに帰っていってほしいそれが女の正直な願いなのであろう。
 
ああ、生々しいなあ、私は心の底から思う。なるほど、帰っていく男の服装はだらしないほうがいいじゃないとつぶやく清少納言の真意はこういうことだったのか、としっくり得心が行く。彼女の実経験のなかで、こんな絵に描いたような「いい男」がたぶん、いたのだろう。
 
日本語っていいなあ。雅だなあ。粋だなあ。清少納言のイメージが変わるね。オススメです。(・∀・)♪