「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「本当はひどかった昔の日本 古典文学で知るしたたかな日本人」

  


本当はひどかった昔の日本: 古典文学で知るしたたかな日本人 (新潮文庫)


また、大塚ひかり氏の本。オモシロいなあ〜!今も昔も変わらないどころかが、昔はヒドかったんだね〜!(笑)


昔の日本では、子供は健やかに育てられ、家族は愛に満ちていた……なんて大嘘。『古事記』や『枕草子』『源氏物語』『宇治拾遺物語』をひもとけば、育児放棄や児童人身売買、マタハラに介護地獄、ストーカー殺人から動物虐待まで、現代に負けない残虐悲惨な話だらけ! しかし、それでも逞しくて人間味あふれる日本人の姿を、日本文学の古典から読み解く文芸ワイドショー」そのエッセンスを紹介しよう。


「現代に生まれてよかったな〜」と思う。庶民に生まれたら、夏は『二十四孝』の男の子のように体中蚊に食われ、冬は万葉集の「貧窮問答歌」の親子のように寒さと上に苦しんでいたかもしれない。あるいは嘔吐物の入った寿司を売る今昔物語集の女のような行商人から不潔な食べ物を買わされて『餓鬼草紙』の人々のように、腹のつき出た餓鬼のうろつく道ばたで用を足す羽目になるかもしれない。脳卒中で身体が不自由になれば『沙石集』の独身男のように道ばたで物乞いをする身になったかもしれない。『さんせう太夫姉弟のように人買いにだまされ、顔に焼き印をおされてこき使われ、曽根崎心中の遊女のように遊郭に売られ、好きな人とは一緒になれず、心中していたかもしれない。


・階級格差はあるにせよ、「身分差別は良くない」という前提があって、清潔な食べ物が手に入り、清潔な場所で用便できる。消毒薬や抗生物質がさほどの苦労なく手に入り、狂犬病もめったにない現代の日本は、なんて住み心地がいいんだろう。長く古典を読むにつれて、そんなふうに思わないではいられません。


・平安初期に書かれた日本霊異記には、男遊びに精を出す若い母親が子どもらを長いこと放置して乳も与えずに飢えさせた話があるし、古事記』『日本書紀』のヤマトタケルノ命は16歳のころ、人をだまして、熱した瓜を斬るように斬り殺す残虐な少年でした。子だくさんで、しかも子どもは親の所有物という意識の強かった昔は、捨て子・育児放棄の多さは現代の比ではないし、シングルマザーが、追いつめられて我が子を木の根元に埋めた話も、江戸時代初期の説経節『かるかや』にはあります。


善悪問わず、現代人があったていどのことは、とっくの昔に誰かがどこかでやっているものです。そうした謙虚な姿勢で古典を読み解けば、現代特有に見える病理や事件も実はそうではなかったと分かるし、同じ悲劇を繰り返さないための賢い対処法を考えることができるでしょう。何より今現在の日本に生きる幸運や、今を築いてくれた先人への敬意も、感じることができるはず。自戒を込めて、思います。


その他、「捨て子、育児放棄満載の社会―昔もあった大阪二児餓死事件」「昔もあった電車内ベビーカー的論争―「夜泣きがうるさい」と子を捨てるようシングルマザーに迫る村人たち」「虐待天国江戸時代―伝統的「貧困ビジネス」の実態」「本当はもろかった昔の「家族」―虐待の連鎖も描かれていた『東海道四谷怪談』」「マタハラと呼ぶにはあまりに残酷な「妊婦いじめ」「毒親だらけの近松もの」「昔もあった介護地獄―舌切り雀の真実」「昔もあったブラック企業―リアル奴隷の悲惨な日々」「昔もいた? 角田美代子―家族同士の殺戮という究極の残酷」「いにしえのストーカー殺人に学ぶ傾向と対策」「若者はいつだって残酷―「英雄」か「キレやすい若者か」」「心の病は近代文明病にあらず」「動物虐待は日常茶飯―そして極端なペット愛好」「究極の見た目社会だった平安中期」「昔から、金の世の中」など。


よくこんなにあったねえ〜!探したね〜!ホント昔はヒドかったんだねえ……。見方が変わるね。オススメです。(・∀・)


  


本当はひどかった昔の日本: 古典文学で知るしたたかな日本人 (新潮文庫)


この本も併せてオススメです。(・∀・)


 


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