「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「限りなく透明に凛として生きる「日本のマザーテレサ」が明かす幸せの光」(佐藤初女)

 

意外や意外!佐藤初女さんの本は、はじめて紹介するなあ!「日本のマザーテレサって呼ばれてたんだねー!♪

 

「この20年、93歳の佐藤初女氏がずっと温め、最も伝えたかったテーマ。雪深い岩木山麓にある『森のイスキア』の窓外に美しく光る葉は一枚一枚が透明です。ひと粒、ひと声、ひと手間をていねいに“今を生きる"と幸福の種が芽吹く。揺れる心をおだやかに整える51の気づき」そのエッセンスを紹介しよう。


『森のイスキア』のすぐそばには、世界遺産となっている白神山地の境目です。窓の外に美しく光る葉は、一枚一枚が“透明”です。人もまた、このように“透明”になって生きていきたい、わたしは、ずっとそんなふうに思ってきました。
 
なぜ透明であることが大切なのでしょうか。それは、透明でなければ“真実”が見出せないからです。自分が透明になって物事を見ていると、真実が見えてくる。濁っていると、真実が見えず、迷って事が解決しないのです。
 
・毎日を生きていく中でわたしは、信仰というものをはっきりと中心におきたいと思っています。わたしにとって信仰とは自分からするものでなくて与えられて受けるもの。信仰の原点は素直さです。祈りもまた生活そのものですから、おむすびを握ることも、ぬか漬けをつけることも、すべて祈りなのです。
 
・“自分”が大きくなりすぎていうこの時代こそ、わたしは生活の中に「信仰」や「祈り」を入れていき、素直な心で「はい」「ありがとう」「ごめんなさい」と言えることが透明に近づく第一歩なのではないかと思うのです。
 
・『森のイスキア』は悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場です。食事がおいしいと感じると、だんだんと胸の中のものを吐き出され、やがて自分で答えを出していかれます。そしてお帰りになることには、訪れてきたときと別人のように表情も明るく、元気になられます。そういった光景をたびたび目にして「食」というのはわたしたちに、なんと大きな力を与えてくれるだとうと、つくづく感じているのです。
 
なぜ食べるだけで、これほど変わるのでしょうか。わたしはお米や野菜、すべての食材にいのちがあると考えています。そのいのちを食べることで、わたしたちの口を通じて体に入り、一緒に生きていくからだと思うのです。だからこそわしは、その食材のいのちを生かすように調理したいとつねに思っています
 
・野菜のいのちがわたしたちの体に入り、生涯一緒に生き続ける。これを“いのちのいうつしかえ”と呼んでいますが、このとき野菜の茎を切ってみると透明になっている。透明になった野菜に味付けすると、野菜がそれを“受け入れる”から、いちばん味がしみこむのだ」龍村仁監督)これが摂理です。緑の野菜だけでなく、何でもいのちが変わるときは透明になりますお乳や陶器の話もそうです。
 
・皇室に乳母制度があったとき、乳母を選ぶのに、一人ひとり黒塗りのお盆にお乳を搾って決めた。お乳が透明ならお盆が透けて見えるけれど、濁った乳なら見えない。そうやって透明なお乳を出す女性を乳母として選んだのです。また陶器もいちばん美しく完全に焼けているときは、お釜の中が透明になっています。セミの幼虫が成虫になるとき、雑魚が成魚になるときも透明になりますから、透明というのはすべてのものに言えるのですね。
 
ぬか漬けこそが「多様なものが多様なままに共に生きる」つまり「生物多様性」です。ぬか床の中では、きゅうりやにんじん、なすなどの野菜が菌と出会って、それぞれが自分の力を出し合いながらおいしくなろうとしている。人と人との出会いもまったく同じもの。わたしたちもみんな、ぬか漬けのようにいいところを出し合って生きていけばいいわたしたちの生活すべてがこのことなのだ。
 

……深いなあ……透明かあ!……セミちゃんが脱皮するときも透明になるよねー!オススメです。(^^)