「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「吉田拓郎 終わりなき日々」(田家秀樹)



・この本は、2009年夏に角川文庫の「豊かなる日々」の続編である。2003年の春、57歳の誕生日に突然、癌宣告を受け、入院摘出手術を経てから延期していたツアーに復帰し完走するまでに日々を追ったドキュメントだった。アーティストに限らず誰もがその人の人生の最終章を迎える。2008年の夏、再び公の場に復帰した彼が口にしたのが “ 最終章 ” だった。どうやって幕を閉じるのか。彼が選んだのは全国ツアーからの撤退”“新作への情熱”だった。
 
素顔の吉田拓郎ー。この本は、同じ時代を経て今にたどり着いた同年代の一人として、今だから残しておかなければいけない記録でもあるのだと思う。
 
“まもなく「最後の旅」が始まる。僕は何を見ることになるのだろうか”
 
文庫版「豊かなる日々」の後書きに僕はそう書いた。その全てが、ここにある。
 
・「元々、エレックレコードという通信販売の会社で始まったわけで、エイベックスで終わるというところを自分の美学にしたい」
 
・「今あるのは、テーマは小さいんですけど、日常の歌ばかりかな。カミサンとの会話とか、この間は、夜中のタクシーの運転手との会話を歌にしたりして、ほんとにちっちゃいんで、それがシングルになるのかということあるけど、そういうことが今、歌いたいんですね。まあ、エイベックス的じゃないと言われるものが多いかな」
 
・拓郎のギター教室というのは、どういうものだったのだろうか。「あの人のギター教室は、技術指導は一切しない。ギターが “ 生きてるか生きていないか ” “ 歌っているか歌っていないか ” そのリズム感だけしか教えなかった広大のフォークソングはどちらかと言うとクラシックの勉強会みたいで、対極的でしたね」
 
・改めて取材をする中で、再認識させられたのは当時の広島での拓郎の傑出した存在感とまばゆいばかりに才能のきらめきだった音楽的なレベル、技術的な裏付け、そして、形やスタイルに捕らわれない自由奔放な発想。それは残されているどんな断片的な音源にも刻み込まれていた。誰もが拓郎に刺激され、触発され、憧れと影響の中で青春を過ごしてきた。
 
・2003年に肺ガンに襲われた時、彼は自分のことを世界一の弱虫」と呼んだ。あの病気が彼を変えたことの一つに、それまでの“硬派・無頼・怖いもの知らず”というイメージと違う本音をさらけ出す自然体という有り様があったように思う。彼が口にした心の内は、60歳を超えて新しい船出に臨もうとする率直な本音だったのではないだろうか。
 
・2006年9月23日、吉田拓郎は新しい水夫だった。年齢は還暦で身体はすでに傷ついても心は真っ新(さら)な新しい水夫だった。もはや若くない新しい水夫がこぎ出した60代という海ー。それは、決して穏やかな航海ではなかった。
 
・「ギター一本でやることなんて全然夢だったわけでもないし。弾き語りなんて楽しくないんだから、ちっとも。そこに喜びなんてなにも僕は見出してないので。一番喜びを見出すのはオケやミュージシャンが多ければ多い程アンサンブルがどう聞こえるかっていう、その完成度の高さが一番の理想形でね。そっちばっかり好きなんだから、そういうことばかりずっと気にしているんだけど、やっぱり時代とかが求めるものがあると、それに応えようとするところが吉田拓郎にはあってさ。音楽はアンサンブルだと思っているから、それがうまくいったときの喜びは何にもかえられない財産だね」
 
“拓郎メロディ”の魅力の一つは、はかないほどの憂いと切なさだろう。安易なカタルシスに流れないデリケートな感情のバランスがメロディになる。軽やかさの向こうに見え隠れする諦めにも似た憂いや哀しみ、そして陰り「無題」は、そんな無常感の中をたゆたうような曲だ。
 
・僕は音楽が大好きで、音楽を人一倍愛してはいるけれど、音楽と一緒に自分が潰れてしまいたいとかは思わない。今まで音楽に壁を感じたとか、音楽で行き詰まったりしたことがないんだよ。俺、一回も。音楽で壁を感じたことなんか一回もない。
 
吉田拓郎は、類い希な音楽家であるー。僕は彼のどこに引かれ続けているのだとうと自問する中で、結局たどり着いたのが彼の音楽だった。楽家としての魅力だった。ジャンルを超えたメロディメーカーであり、言葉に対して柔軟で鋭敏な感覚を持ったソングライターであり、独自なリズム感と音楽的快感を備え持ったヴォーカリストでありプレイヤーであり、天性の耳を持ったアレンジャーだった。そして、誰も目にしたことのない圧倒的な存在感のパフォーマーということだった。
 
時代を象徴したものは時代とともに色褪せる宿命を背負っている。70年代に同じように登場し、今も変わらず新しい作品を作り続けている人とそうならなかった人がいる。吉田拓郎吉田拓郎たらしめているのは、“イベンター”だったからではなない。彼の音楽的な力量である
 
 
特に、「フォーク村40周年同窓会」NHK「大いなる明日へ〜復活!吉田拓郎〜」「この貴重なる物語 ツアー終了インタビュー」「奥田民生の「唇をかみしめて」」「ハワイ・ホノルル“みんなで一緒にハワイに行こう”」「吉田拓郎かぐや姫 コンサートインつま恋(1975年8月2日)」「CONCERT IN TSUMAGOI 2006」「リハーサル・ゲネプロ」「名古屋国際会議場センチュリーホール」「東京国際フォーラム」「吉田拓郎展」など。
 
いや〜いい、良い!これを読みながらBGMは、『18時開演』だよ。感動、感動っ!国民栄誉賞だよ、ぜったい!超オススメです。(・∀・)