「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「桑田佳祐論」(スージー鈴木)

 
 
 
 
 
 
 
そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
桑田佳祐の歌詞など、まともに読んじゃいなかった。日本語の歌詞を、どうビートに乗せるか、絡ませるかという方法論の開発が桑田の最大の功績なのだから。極論すれば、歌詞だけ取り出して云々してもしょうがないだろうと、私はずっと思っていた。「たまにゃMakin'love そうでなきゃHand job」エロい!
 
まず驚くのは、桑田佳祐による歌詞が表す世界の広さだ。ラブソング、エロソング、コミックソング、ナンセンスソング、そしてメッセージソングと、守備範囲がべらぼうに広い。野球のフェアゾーンをたった一人で守っている感じがする。
 
次に驚くのは深さだ。広い広い歌詞世界を下支えする根本思想。私は、それを「ロック音楽は、何を歌ってもいいんだ」という、長い音楽家人生で、桑田佳祐が決して手放すことのなかったドグマだと捉える。さらに言えば、日本国憲法表現の自由ひいては戦後民主主義を、もっとも謳歌し、満喫した日本人としての深みが、桑田佳祐の歌詞にはある。
 
 
勝手にシンドバッド 1978年6月25日】
 
 
「そのとき歴史が動いた」という言い方は、日本ロック史において、この曲が、歴史をググっと動かしたということに、異論を挟む向きは少ないだろう。日本ロックの転換点。《勝手にシンドバッド》以前/以後ー。はじめの一歩が、すなまじりのちがさき」と音にして10文字。終わりが胸さわぎの腰つき」(むなさわぎのっこしつき)とこちらも10文字。音韻的にもかなり近似している。
 
注目したいのが茅ヶ崎という具体的な地名の導入。1978年当時はそれほどメジャーな地名ではなかった。いくら自身の生まれ故郷とはいえ、デビュー曲の歌い出しに茅ヶ崎は、さすがに唐突だと思うのだ。
 
「胸さわぎの腰つき」の意味不明さ。(そもそも勝手にシンドバッド自体も意味不明だが)言い換えれば意味から自由奔放」桑田佳祐の言葉がもたらした、最も大きな功績はここにある。どんな腰つきなのか、まったく意味がわからない。
 
「砂まじりの茅ヶ崎」と「胸さわぎの腰つき」のサンドイッチ構造は、掛け値なく《勝手にシンドバッドの革新性を体現している江ノ島が見えてきた」は、この一見珍奇な曲に大衆性を与えている。78年8月31日夜、TBSザ・ベストテン「今週のスポットライト」勝手にシンドバッドの演奏が終わった瞬間、日本ロックが一段上の地平に跳ね上がった。見えてきたものは江ノ島と、新しい日本ロックのありようだ。
 
 
いとしのエリー 1979年3月25日】
 
 
この曲がなければ、後のサザンはなかったと思う。サザンがなければ、日本のロック史も、まったく違う方向に向かっただろう。
 
「誘い涙」って何だ?「みぞれまじりの心なら」「泣かせ文句のその後じゃ」も、実に独創的で、かつ奇妙である。この3つに共通する感覚がある。それは「湿度」だ。濡れている」ということだ。
 
途方もなく広大な桑田の歌詞世界の中で、最も大きな区画を占めている情緒・情感は「センチメント」メランコリー」である。そしてその3つはすべて、その区画にすっぽりと収まる。これは言ってみれば、日本語ロックにおける「言語革命」の痕跡である。

 

いまごろになって「たまにゃMakin'love そうでなきゃHand job」って歌っていたって、気づきました。実に深い!!!オススメです。(・∀・)