「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「エッジィな男 ムッシュかまやつ」(サエキけんぞう・中村俊夫)

ワタシ11歳、小学校5年、もちろんギターをはじめる前のムッシュかまやつのヒット曲「我が良き友よ」。名曲だよね。1975(昭和50)年。拓郎は、当時29歳かあ!ひえ〜!若ーい!!!こんなバンカラ姿に憧れたなあ〜!歌うたびにあの当時を思い出すなあ!♪
 
ムッシュかまやつとはなんだったのか?エッジィであり続けた才能の軌跡を、面白く納得できるエピソードのコラムの集合体で綴る。唯一無二のアーティスト、ムッシュかまやつを多面的に分析した愛のある文化論」そのエッセンスを紹介しよう。
 
「我が良き友よ」は、ムッシュが自身で選んだ路線から生まれた曲である。自分には書けないドシッとしたバンカラ感を吉田拓郎が出してきたから採用したはずだ。それを「正直、ぼくは複雑な気持ちだった」というのは「ズルい!」ムッシュをよく知る者が隠せない、感情だろう。
 

 
実際、日本ポップスを愛する者にとって、拓郎は敵ではない。拓郎がキャンディーズに書いた「アン・ドゥ・トロワ」や「銀河系まで飛んでいけ」など。拓郎でなくしては出せないグルーヴと美メロがマニアの耳とらえて離さない。近田春夫小西康陽も拓郎のメロディを絶賛している。
 
ムッシュはどこでも常にギターを手放すことがない。医者、看護師、訪問者に曲を歌ってみせたという。個室にいつもギターを用意してあるんです。病室でコンサートが始まる。看護師さんに人気出るわけですよね」
 
そのラストまで家族と友人に見守られ、病室をステージに変え、音楽と酒と食事を絶やすことのなかったムッシュその穏やかで柔らかい物腰は、東京人らしく妥協することがなかった。平和の使徒は、本当に好きなもので愛でて、微笑みを世に奏でることに命をひたすら費やしたのである。
 
いいなあ。病室でギターを弾いてたのは、ワタシと同じだあ!(・∀・)♪ ムッシュの名曲をいろいろ聞いてみたいなあ。オススメです。