「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「僕の音楽キャリア全部話します 1971 Takuro Yoshida → 2016 Yumi Matsutoya」(松任谷正隆)

ユーミンが、荒井由実から松任谷由実になったときに、はじめて松任谷正隆という人を知った。そんなヒトも多いんじゃないかな!?ワタシもそうだから!♪

 

でも「結婚しようよ」「なごり雪にも絡んでいたとは!知らなかった!!!

 

誰もが一度は耳にしたあのイントロやフレーズは、いかにして生まれたのかどんなにヒットした過去の曲より、今手がけている作品が、僕の最高傑作。松任谷由実「守ってあげたい」、松田 聖子赤いスイートピー、ゆず栄光の架橋――。いつの時代も日本ポップシーンのメインストリームで「音」をつくり続ける著者が、アレンジャー、プロデューサーとして、自身の仕事と音楽観の全てを語る」そのエッセンスを紹介しよう。

 

幼少時から、どうしてもピアノのレッスンを好きになれませんでした。先生に言われた通りに、決まった演奏をするのが苦手だったのです。だから、一人になると、思う存分ピアノと遊びました。でたらめに、好き放題に鍵盤を叩き、自分の中から生まれてくるルールのない音を楽しみました。でたらめピアノを弾く僕は自由だったからです。
 
でたらめピアノのおかげで、二十代で音楽と生きる道と出会いました。いつでも、誰が歌う楽曲でも、僕はベストを尽くします。一つの場所にとどまることをやめたのは、三十代になった頃でした。昨日より今日、新しい自分になることに決めたのです。音楽も、生き方も、トラディショナルより流行を追うことを選び、変化を楽しんでいます。どんなにヒットした過去の曲よりも、今手がけている作品が最高傑作ー。この思いは音楽を生業にしてから、一度も搖らいでいません。
 
「ANNIVERSARY」というバラードがあります。イントロが生まれたとき、あふれる涙を抑えることができませんでした。自分がつくった音に涙する体験に胸が震えました。しかし、そんんば喜びも、感激も、つかの間です。「もっといい音楽ができたはず」次の音楽へと気持ちを切り替える。さらに新しいアプローチを探す旅へと向かう。
 
・僕が一番大切にしていることは、音から風景が見えるかーです。アレンジは絵画。僕はいつも考えています。メロディから、人物を見て、ストーリーを見て、色彩や時間の流れを感じて、できることならば匂いも感じて、それらを音で表現していくのが僕のアレンジです。つくり手側の頭の中で景色が立体的に広がらないと、リスナーは音楽から自分の物語を描くことができません。だから僕は、景色が見えるまで、メロディを変えたり、リフを加えたり、楽器を足したり、引いたり、あらゆる作業を重ねていく。
 
・音楽の中で一番重要なものは、間違いなく「グルーヴ」です。自分の体から自然にグルーヴが生まれるのがミュージシャン。グルーヴを持たない人はプロとして音楽をやってはいけないとすら思います。
 
・ミュージシャンデビューは、1971年に加藤和彦さんに誘ってもらったのが最初です。実質的なデビューは、拓郎の「結婚しようよ」でした。アレンジャーは加藤さん、僕はハーモニウム(リード・オルガン)を演奏した。加藤さんがなぜ僕を選んで誘ってくれたのか?きっと加藤さんの嗅覚でしょう。ミュージシャンの匂いを嗅ぎ分けられたんじゃないかな。
 
・その後長い付き合いになる拓郎の初対面の印象は、それまでに会ったことがないタイプの人間というイメージです。肌触りがシャイというかね。最初は少し距離をおきたいと感じたことを覚えています。
 
(荒井)由実さんは、僕に意見を求める人でした。僕の意見に積極的に耳を貸してくれるので、会話が多くなり、僕の役割も拡大していった。音楽的な方向性も一致しました。当時の由実さんの音楽のイメージは、パープルグレーです。暗くはないけれど、かといって明るいとも言えない、ミステリアスな、見たことのない色でした。
 
・(由実さんのどこに魅力を感じたのか?)やっぱり才能かな。彼女の書く作品は圧倒的によかった。作品にはね、つくり手の内面が表れます。当時、音楽的には僕は暗黒時代にいたわけです。自分は音楽で生きていくことができるのか、まだ不安な時期でした。そんな時に彼女の音楽に出会い、そこに光を見た。由実さんの音楽には、僕がそこで何かをやれる自由度があった。そして、音楽だけではなく人柄にも、そこで僕が何かやれる自由な領域を見たと思います。
 
音楽を聴くと、なんとなく人柄はわかります。特にシンガーはね。
 
「12月の雨」のコーラスは、山下(達郎)、ター坊(大貫妙子)、(吉田)美奈子、アッコちゃん(矢野顕子、当時は鈴木顕子)と、その後の日本のポップシーンの第一線で活躍するメンバーです。
 
ユイ音楽工房の陣山俊一さんは、後に(吉田)拓郎の春を待つ手紙という曲の歌詞のモデルになった人です。『元気です。』『よしだたくろうLIVE'73』『今はまだ人生を語らず』…あの頃の拓郎のアルバムはほとんどやっていました。拓郎のレコーディングやツアーのギャラは、確信犯で直接もらっちゃった。眠る時間もないほど働いていたから。拓郎は当時すごく売れていたから、ツアーで利用する電車もホテルも快適でした、しかも僕を大切に扱ってくれて、地方公演の時は、メンバーの中で僕だけ前乗りさせてくれました。だから、いいコンディションで本番に臨めたんですよ。もっとも打ち上げはクレージーでしたけど。
 
 
「あの日にかえりたい」のイントロは印象的なコーラスをハイファイセットの潤ちゃん(山本潤子)にやってもらいました。コーラスは潤ちゃん、美奈子、シュガー・ベイブ、豪華なメンバーです。
 
・ハイファイが売れたことで、僕は暗黒時代を抜けられた。ある日、僕の銀行口座に印税やギャラが300万円くらい振り込まれていて、これから食べていけると思えた。
 
・イルカのなごり雪のアレンジは、レコーディングする前から、スタッフが「絶対にヒットする!」と言っていた。僕はかぐや姫とはまったくテイストの違う曲にしたかった。それで、あの雪が舞うようなピアノのイントロから始めました。松田聖子赤いスイートピーのアプローチとダイレクトにつながっています。
 
・75年のつま恋にも参加しました。自分のバンドでは「夏休み」「旅の宿」「結婚しようよ」「襟裳岬」「金曜日の朝」「シンシア」…、瀬尾ちゃんのバンドでは「落陽」「となりの町のお嬢さん」「僕の唄はサヨナラだけ」「人間なんて」…をやっています。吉田拓郎という一人の男の夢をかなえる手助けーというのが、あの時の僕のスタンスでした。演奏しながら彼が歌う後ろ姿を見ていてね、「このステージで死にたいんだろうな」と感じたことを覚えています。拓郎が「人間なんて」を熱唱していると、やがて朝日が昇ってきてね。拓郎の背中が感動しているのがすごくよくわかった。人生の中で夢を見るというのかな。一人の男が夜明けとともに燃え尽きて行った。人が自分の限界を超えたところに何を見るんだろうー。そんなことも考えましたね、7万5千人の観客もエクスタシーのようなものを感じていて。それを思うと、あんなに強烈なコンサートはない。
 
拓郎の曲には僕のテイスト、けっこう表れていると思いますよ。舞姫のイントロとか、自分の感じが出ていたんじゃないかなあ。「明日に向かって走れ」もね、拓郎と話し合っていながら音をつくっていった覚えがあります。
 
・由実さんがかまやつさんへプレゼントした曲が「中央フリーウェイ」でした。この曲はね、僕は完成しないんじゃないかと思った。というのも、転調を繰り返して、どこへ行くのかわからなくなったように感じたからです。ついに完成させ、僕には奇跡に思えました。
 
細野(晴臣)さんに関していうと、僕とは、ミュージシャンのとして水と油だと思っています。けっして融合しない。常に考えていることが違う。しゃべっている言語が違うと思うことすらあります。
 
「スラバヤ通りの妹へ」のイントロは、僕にとって印象深いかな。というのもほかのどんな曲にも似ていないと思えたからです。音楽って、何もないところからは生まれないんですよ、意識的にせよ、無意識にせよ、自分がそれまで耳にしてきた音や体験した出来事によって生まれます。この曲は、自分のどの引き出しを開けたのか、自分自身わからなかったです。こういう体験はやっぱりうれしいですよね。
 
・一度だけ、オフコースのライブで「言葉にできない」という曲をひまわり畑の映像をバックに歌った。僕、不覚にも涙を流してしまいましてね。あの曲は、メロディ、歌詞、声……すべてが相まって、素晴らしい作品だったと思いますよ。僕、小田さんとはそんなに仲良くないんですけれど、でも、やっぱり才能を感じました
 
僕が由実さんのプロデュースをやることによるメリットは51%、デメリットは49%だと感じています。メリットがわずかに上回っているのは、彼女の安心感、かな。少なくても彼女は多少安心して音楽をやってくれている気はします。ほかの誰かに頼むよりはね。そう思えるから、今もなお、僕が彼女の音楽をプロデュースし、アレンジをしている。安心感というのは、間違いなく、作品の仕上がりに反映されます。逆に緊張感も。どちらがいいのかは分からないけれど。僕は由実さんは、たぶん、その2%のメリット部分でお互いに納得し合って、ここまでやってきているんだと思います。
 
CDをつくるというのは、昆虫を育てて標本をつくる作業に近くてね。標本って、薬品を注射してかためてしまうでしょ。もう成長しません。音楽も、楽曲をつくって、ミックスをして、マスタリングした時点で、それ以上にはできない。ギターもキーボードも差し替えられない。だから、マスタリングを終えた瞬間が僕はどうしても好きになれません。でも、その楽曲はツアーで演奏されます。ショーは連日行われますから、修正できます。それを50本、60本行って、ファイナルで自分が理想としたかたちに近づけられると、安心するんです。
 
自分が生きている限り、音楽は生まれるんですよ。ミュージシャンにとっては、呼吸や食事と同じだと思います。いつも何かをおもしろがって、そのときそのときの等身大の音をつくっていれば、好きなことをやっていれば,新しい何かは生まれる。僕はそう思っています。「昔はよかった」とは、僕は死んでも言いません。僕はいつも今が一番です。最高傑作は、常に次の作品です。

 

あらためて「あの日にかえりたい」を聴いて潤子さんのコーラスに感動してしまった!♪音楽ファン、必読っ!オススメです!♪