「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「紅茶を受皿で イギリス民衆芸術覚書」(小野二郎)

コーヒーや紅茶のカップと受皿。ギャグで、お皿にコーヒーを注いで、お皿に口をつけてすする、というのがあるけど、。実際にそういう使い方をしていたとは!?それはホントなのかウワサなのか!?(・∀・)
 
さてこの本にその答えがある!アイルランドの田舎町で偶たま目にした老婦人の作法が、民衆文化の基層を垣間見させる。ウイリアム・モーリスのレッサーアートの広い世界にふれることにしよう」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・私はおばあさんの次の行為にあっと息をのみ、説明しがたい感動のようなものにとらわれたのである、それはそれほど奇矯な振舞いというのではなくて、ただお茶をカップから受け皿にあけて、そこからすすっただけのことである。
 

▲ルイ・マラン・ボネの「コーヒーを飲む女」(1774年)という版画

 
十八世紀ではティーボールに直接口をつけて飲んでいたと受け取るのは自然だろう。そうなれば受皿から飲むことの原型はティーボウルから飲むことであり、受皿とティーボウルの形も何となく似ている…
 
ティーボウルの生産は一部では十九世紀と二十世紀の交る頃まで続いたらしいが、そのずっと前(十八世紀)から取手のあるカップに徐々に取ってかわられ、ヴィクトリア朝では中産階級以上は今日のカップと変わらぬものを使用していた。
 
ティーボウルから受皿に転化してしまい、取手がついているカップから安全に飲めても、やはり受皿を本来のソーサーとしてお茶を飲み続ける頑固な文化的保守主義者が簡単には行けず、まだまだ現在でも存在していることのなかにその幻影は存在する。
 
オーウェルティーポットの周辺には、あの訳のわからない社会的なエチケットというものがある。(例えば、なぜ受皿で飲むのは無作法だということになっているのだろう?
 
いや〜ホントだったのかあ!目からウロコだね〜!こういうことって他にもありそうだよね。オススメです。(・∀・)