「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ほんとうは戦争の歌だった 童謡の謎」(合田道人)

 
この本は、スゴイわ。おどろいたわ!ビックリした!なじみ深い童謡が戦争の歌だった!?確かにそうだわ!説得力あるわー!!!(・_・;)
 
「それぞれの曲に隠された真実、作詩者や作曲家が密かに込めた思いなどを解説している。、普通に歌っていた童謡の裏には忍び寄る戦争の影を感じさせたり、当時の国策で戦意を高揚させるような仕掛けがなされているものもあった」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
ウミ 作詞 林柳波 作曲 井上武士
 
この時代の子供は、いや大人たちも日本のために命を捨てることは当然という考えを持っていたのである。男の子は早く大きくなって兵隊さんになりたい」ということだったのだ。しっかりとこの歌には、その海への、つまり戦争への夢、憧れが隠されているではないか。
 
日露戦争で日本に勝利をもたらした東郷平八郎元帥は、この頃すでに“勝利の神”として祀られていたし、広瀬武夫軍神広瀬中佐」として、歌にまでなって歌われていた。現役で活躍中のヒーローは、山本五十六だった。
 
♪ 海にお船を 浮かば『し』て 行ってみたいな よその国……。
 
海を渡って敵国、よその国に乗り込んでゆき勝利を収めたい…、そんな心がこの歌を大きく支援していったのである。作詞者の林柳波に軍からこんな注文が下っていた。「海軍日本を象徴し、子供の自分から海に対する憧れを抱くような歌を作れ……」と。
 
 
「かもめの水兵さん」の「♪ならんだ水兵さん…とは、水兵が一挙に敵軍に立ち向かう様にたとえたといっても過言ではない。さらに2番は、♪かけあし水兵さん…となっている。日本が駆け足で戦争に突進している様子が、描かれているではないか。それは戦勝への駆け足でもあった。3番は、♪ずぶぬれ水兵さん…最後の4番は、なかよし水兵さん…となっていることで、それはより現実味をおびてくる。「今からでも遅くはない。いくさをやめて仲よくしよう」という願いにほかならなかったのである。
 
「汽車ポッポ」は、ズバリ!「兵隊さんの汽車」といっていた。昭和13(1938)年。日中戦争の翌年のこと、「バンザイ!」と叫ぶ人たちに見送られながら、兵隊さんたちは戦場へ向かった。子供たちも一所懸命に旗を振って、駅で見送った。
 
 
「戦友」「桃太郎」「隣組」「埴生の宿」「さとうきび畑」「花の街」「めだかの学校」「ぞうさんなど。

 

ぞうさんの解説には胸がしめつけられる…涙が出る……『少年ジャンプ』に連載されていた飯森広一『僕の動物園日記』のエピソードを思い出した。多くの人に読んで欲しいなあ。超オススメです!(・∀・)