「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「工作少年の日々」(森博嗣)

このタイトルを見て、ワタシは「音楽少年の日々」というエッセイを書こうと決めた!♪ 本格的な音楽教育も受けていないし、デビューもしていないし、しがない「酒場のギター弾き」だけど(謙遜ですが…)、武道館をいっぱいにはできないけど、目の前の一人の人が聞きたいマニアックな歌を「流し」で歌うことだけはオンリーワンだと思っている。(・∀・)
 
さてこの本。「マルチ人間の独自な発想と日常…連載エッセイ集!工学部助教授にして人気ミステリィ作家の著者、初の連載エッセイ集。研究と小説と、愛してやまぬ模型工作の日々の中で綴る、時間や忙しさ、小説etc.についての独自考察。目からウロコのマルチ人間の秘密」そのエッセンスを紹介しよう。


・僕の場合、小さい頃から「散らかしの神」に支配されていた。ときどき、その神様が降りてきて、僕をして僕の周辺を散らかすのである。僕自身はまったくの無意識で「おやっ」と気づいたときには、周りは散らかし放題、悲惨な状態になっている。見に覚えがないので、「犯人は僕じゃない!」と愕然とするのであるが、幸い、僕の両親は子供にちょっと片付けなさいよ」などと言うことは一度もなかったそれはたぶん、エントロピィ増大というか、宇宙の原則を両親が正しく理解していたためだと思われる。物理学の理解は、このように日常を豊かにするありがたいことである。
 
「器用」という形容は、もともとは能力を褒め称えた言葉であったはずなのに器用ですね」などと言われた場合、素直に喜んで良いのかどうか難しい。「あの人は不器用だから」という評価の方が、そこはかとなく好意が感じられる。「器用」が、限りなく「狡猾」「熱意不足」あるいは「器用貧乏」に近づいているような気がする。
 
人間には得意なもの、不得意なものがある。道具と同じで、向き不向きがある。好きか嫌いかで仕事を選ぶのは、一見良さそうな気もするけれど、実は不合理だ。僕は、たとえそれほど好きではないことであっても僕の得意なことをして、お金を稼ぐ。そうして、僕よりも得意な誰かが作ってくれた僕が欲しいものを買う。それを作った人は、それを作ることがそれほど好きではないかもしれないけれど、それで資金を得て、自分の好きなものを買うだろう。人間の社会は、このように得意なものと好きなものを、経済という装置で交換できるのだ。うまく考えたものである。
 
・駅前で募金活動をしている男の子たち。君たち、一日どこかで真剣にバイトをしたら、もっと沢山のお金を集められるかもしれないぞ。その方が、困っている人たちを助けられるのではないだろうか?
 
鉄道模型の魅力は一言でいうと何ですか?」と質問された。いろいろな理由が頭に思い浮かんだけれど、最後に言葉になったのは、「線路が二本ある。それがずっと
遠くまで、どこまでも、続いているような予感」とわけわからない返答だった。

 

いいなあ。ワタシも早く「音楽少年の日々」を書かなきゃ!♪ オススメです!(・∀・)