「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「アンチ整理術」(森博嗣)

 
整理・整頓、片付け、掃除、収納が苦手である。これはある意味、才能かもしれない。(笑)逆に、出したら出しっぱなしは大得意である。
 
ギターもそうなんだけど、ケースにしまっておくのはイヤ。愛機のテリーズテリー TJ-100 とIbanez AW-120が、リビングの角のギタースタンドに立て掛けてあって、いつもワタシの視界に入るようにしている。時折チラッとみるだけで、あのフォルム、曲線、ヘッドのカタチ、色、アバロン貝のバインディングを見ているだけで、癒やされる。ケースに閉まっておくなんて!考えられない!!!地震は心配だけどね)

さて、この本。「整理・整頓は何故必要なのか?大学の研究室、芸術家のアトリエ、漫画家の作業場……。素晴らしい作品が生まれているのは凄まじい散らかりようのなかだ。物理的な整理ではなく、自分自身の内側と「環境」を整理・整頓してみよう。人気作家が語る、自由に楽しんで生きるために大切な創造的思考と価値観」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
僕は、世間に対してなにかを訴えたいと思ったことがないまして、人様の生き方に文句をつけるつもりなど毛頭なく、自分のやり方が正しいとか、君たちも同じようにしなさいなどとは、まったくこれっぽっちも考えていない人間である。
 
自分の仕事や生き方について、本を読んで参考にしよう、と思うだけで、その人は成功者のグループに入る条件を満たしているだろう。まず、日本人の大半は、本など読まないし、活字を読んでも意味を頭に展開できない。だから文字を読めるという基本的な能力に加えて、自分の人生を向上させたいという意欲を持っているだけで、なにごとにも積極的になれるはずだ。
 
人間というのは、努力すれば必ず報われる、というものではない。努力をしても、上手くいかない場合が必ずある。努力をしないまでも、そこそこの成功を収める人もいる。そう、不公平だ。世の中も自然も不公平にできている。だからこそ「公平」というルールを作って、人間社会を改善しようとしているのである。
 
僕には「整理術」というものはない。必要なかったのだ。整理する時間があったら、研究や創作や工作を少しでも前進させたい無駄なことに時間を使うなんて馬鹿げている。すなわち、これが僕の「整理術」である。
 
・僕の断捨離に対する考えは一つだ。不要だと断言できるものは捨てれば良い。そうでないものは持っているしかない。これだけである。単純明快でしょう?
 
何故散らかるのか。犬や赤ん坊は、放っておくとなんでも散らかす。ものを散らかすことが楽しいからだ。楽しいからやっている。物理学ではエントロピィが増大する。この「散らかる」状態のことを「均質になる」といったりもする。不均質な状態とは、人間が作り出したものであり、すなわち人工」である。人は人工のものより自然を「美しい」と感じるようだが、整理整頓をして、掃除をしれ、これぞまさに人工」という状況を作り出そうとする。そういうものを「綺麗」になった、などと表現するのは、実に不可思議なことではないか。
 
動物というもの、あるいは生命というものが、不均質な状態なのである。生命は、いずれは活動を停止する。死ぬことになる。ということは、人間が整理・整頓に憧れるのは、それが生命を感じさせるものだからではないか、というのが僕の思いつきだる。良い悪いの話ではない。人間の健康というのは、いわば整理・整頓ができている状態であり、散らかっていると元気がなくなり、そして最後には死ぬ。であるから、なんとか元気を出そうというとき、部屋を片付けて、ものを整理してみる。なんとなく生きていく「勢い」のようなものが蘇ってくる。そういう気分にさせるものが、整理・整頓なのである。
 
結局のところ、整理・整頓とは、元気を出すため、やる気になるためにするものである。それなのに、仕事ができるようになる、発想が生まれる、効率を高める、などと余計な効果を期待するから、勘違いが生まれる。
 
・工作をする友人が多いが、達人と呼ばれる人やつぎつぎと新作を作り上げるエネルギッシュな人の工作室は、だいたいもの凄く散らかっているように見える。ものが多すぎて、よくこんな場所であれだけの作品が作れるものだ、と感心することが多い。一方、工作室を綺麗に整理・整頓している人は、工作環境を整える方に気持ちが向いている町工場も同じ、忙しくつぎつぎにものを作る場所は、雑然としているし、オイルにまみれている。逆に、床に何も置かれていなくて、綺麗に整理・整頓された工場というのは暇そうである。おそらく暇だから綺麗にする作業に労力を回せるということではないか。
 
「何をすれば良いかわからない状態とは、なんでも良いからした方が良い状態である」とにかく、なにかをしてみること。実行することである。そうすることで、周囲が変わる。環境が変わり、視点が動く。なにかをすれば、なにかは変わるのだ。
 
・「「嫌だな」という気持ちで、やる気を出すにはどうすればいいですか?」→「嫌だな」と思っている、その状態のままやる。それが正解である。嫌な気持ちを「やりたい」気持ちに切り替えるのは、かなり難しい。それよりも「嫌だ」と思いながら作業を始める方が、ずっと簡単なのだ。
 
整理・整頓・掃除なども、スポーツと考えれば良いそう考えるだけで、多少やる価値が出てくるのではないか。
 
僕は、さっぱりした綺麗な場所が、さほど好きでない。むしろ、ごちゃごちゃした、いわゆる「おもちゃ箱をひっくり返したような」空間が好きなのだ。自分の好きなガラクタに囲まれていたい。そういう賑やかな場所の方が落ち着く。
 
・頭のスキルとは、どうすれば磨かれるのか。この方法は一つしかない。それは、頭を使うことだ。使っているうちに、磨かれるもの。それがスキルである。
 
・自分自身を整理・整頓するとは、簡単にいえば、自分が生きるうえで、「一番大事なことは何か?」あるいは、「目指しているものの本質は何か?」を考えることだろう。それを考え尽くせば、余分なものが自然に排除され、頭はすっきりするし、行動も洗練されるように思う。
 
・この頃の若者は、自分の力を出し切っていない、みたいな幻想を持っていますよね。力を出し切ることが勝負に勝つ方法だ、と教えられているみたいですが、僕は、力を出し切るという意味がわかりません。力を出しきらないで仕事をした方が健全だと思います。そんなに一所懸命になる必要はないし、それくらい力を抜いた状態こそが、その人の性能だと思います。機械は、みんなそうですよ。最大出力で使ったりしません。
 
僕は、まず、文章を書くのが嫌いです。小説もエッセイも書きたくありません。面倒だし、書いてもわかってもらえないし、書いているときに楽しいわけでもありません。でも、仕事だからいやいややっていますしかたがないな、と腰を上げるのです。この『仕方がない』が究極のツールと思います。いやいや、しかたなくやれば良いのです。やれば、多少はあとで良いことがあるでしょう。苦手でも得意でも、関係なくやるだけですよ。
 
・僕は、デビューしたときからずっと、創作ノートというものを持ったことがない。小説のプロットは書かない。あらかじめストーリィを決めておくようなこともしない。テーマなんて考えないし、誰が登場するか、どんな結末になるかも、まったく白紙のまま執筆を始める。事前に考えるのは、作品のタイトルである。これは半年ほどかけて考える。百くらいは候補を挙げて、その中から選ぶ。
 
思いつくことが、創作の起点である。何かを思いつくから書ける。書いている最中というのは、単なる労働。思いついたことをメモはしない。メモをしないと忘れてしまうようでは、インパクトがないわけで、そもそもアイデアとして失格だからだ。
 
・出版社が欲しい才能は、整っている必要はまったくない。むしろ、散らかったままの作品の方が良い。あくまでも、本質は最初の発想にある。
 
どうして皆さん、そんなに収納したがるのだろう?隠しておくほど嫌なものだったら、買わなけば良いではないか。僕は自分でお金を出して買ったものは、全部飾っておきたい、だから全部見えるところに出しておく。
 
 
「一人だけの仕事場は散らかる」「片付けることの開放感」「教授の部屋が片付いている理由」「知識と教養の違いとは?」など。

 

そーそー!!!その通り!!!いままで読んだ整理・整頓の本の中で最も腑に落ちた。そうだよね、「仕方がない」のままやるんだよね。今年は、堂々とそれでいきます。超オススメです。(・∀・)