「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「集中力はいらない」(森博嗣)

 

 

いいなあ!痛快だなあ!このタイトルっ!!!その通り!胸がすーっとしたわー!♪ ワタシは「集中力がない」のだが、「チュウチュウ力」はいっぱいあるのだっ!(笑)

 

「作家が教える本当の知的生産術!失敗するのは注意散漫だったから」は本当か?
1日1時間労働の人気作家が明かす、発想力のコツとは?私たちは「一つに集中するのはすばらしい」という思い込みにとらわれている。「だらだら」「非効率」を排除しようとする風潮の中、累計1600万部超の人気作家が提唱する「アンチ集中力」のすすめとは?人間のもつ本来の力を発揮するには?誰もいわなかった情報過多時代の<知的生産術!そのエッセンスを紹介しよう。

 

「集中力」という言葉があるが、まるで人間には「ものごとに集中する能力」があるかのように表現されたものだ。具体的にそれがどういう力なのか、今ひとつ僕にはわからない。だが、誰もそれを疑問に思わないみたいだし、それどころか、集中力は非常に良いもの。素晴らしいものであって、集中力があればあるほど有利になる魔法の特殊能力として扱われている。要するに「集中」とは、都合の良いものに没頭することらしい
 
人間というものは必ずミスをする。特に、僕はミスが多い、うっかり者である。機械は滅多に失敗しない。コンピュータも計算ミスをしない。そう考えてくると「集中」とはすなわち、人間に機械のようになれという意味なのだ。言い換えれば「機械力」が相応しい。
 
「集中」の反対の「だらだら」はどんな状況なのか。やるべきことに目が向いていない。顔が別のことを考えている。ほかの作業(食べるとか、寝るとか、おしゃべりするとか)が同時に行われている、みたいなイメージだろう。このとき、やるべき作業における効率は下がっているが、実際には、同時にしているその別の作業で成果が挙がっているかもしれない。(美味しかった、気持ちよかった、面白かったなど)。だからひっくるめて評価をすれば、それほど損をしているわけではない、と僕は考える。
 
・この本で書こうと思っているのは、実は、このような「集中力」に否定的な考え方「アンチ集中力」みたいなものの効能について語ろうと思う。子供のときの僕は、大人が「やりなさい」と言ったことには集中していなかったが、少なくても、自分がやりたいこと、自分が考えたいことには集中していた。僕の場合、人よりもたぶん集中の度合いが強い(あるいは深い)から、人よりも長く続けられない。だから、次から次へと目移りする。その方が、僕の頭には自然なのだ。「集中力」は、僕のようなタイプにはむしろ逆効果になりかねないむしろ集中しないことで、機械にはできない人間本来の能力を発揮することもできる、という話を本書ではしていきたい。
 
「情報過多」というが、案外つまらない情報が大きな割合を占めていることに気づく。情報の端末が身近になっただけのことで、情報そのものが増えたとは一概にいえないような気もする。
 
・どんな時に発想が生まれやすいのか。まず、あまり緊張しないこと。少し力を抜いた方が良い。ある方向に対しての緊張ならば、別の方向ではリラックスしている試験の前日に、ふとまったく別のことで面白いアイデアが浮かんだりする、そんな経験はないだろうか。
 
・この頃は、なんでも「はい、これだけで解決しまう」というCMが出回っている。これを使えば仕事が面白い、たった三つのことを変えるだけですべてが上手くいく。そんなキャッチフレーズがゴミのように溢れかえっているのが、どうやら情報化社会というものらしい。
 
・(やる気のコントロールは意識的にされてますか?)そんなに気合いを入れるほどのことでもなく、毎日の習慣にしている、というだけです。
 
なぜ一日一時間しか仕事をしないのか?それは疲れるからです。疲れたら、次の日に響きます。体力のない人間なので、そうしているわけです。
 
「そんな研究が何の役に立つのか?」という言葉を聞く。この発言は「自分の役に立つことがすべてだ」という極めて集中した思考に基づいている。自分や、自分の利益にしか見えていない。逆に「あなたは、何の役に立つのですか?」「役に立つこと以外に、価値は無いのですか?」と尋ねたくなる。
 
・リラックスしている頭から、発想が生まれるのは、なにかに集中している状態では、頭の別のところで浮かぶちょっとした信号を見逃してしまうのではないか、ということだ。
 
・かつては、個人の趣味というのは、せいぜい一つに絞られる傾向にあった。これが好きだというものがあれば、ほかは我慢する。多趣味は贅沢なことだ、と。また「一所懸命」という言葉あるように、なにか一つのことに打ち込む姿が潔く、格好良く見えたものだ。これも、最近は崩れつつある。あれも好きだし、これも好き。複数のことを楽しんでも良い、という認識に変わり、ライフスタイルも多様化、複雑化している。
 
くよくよ悩んだことは、たぶんないです。そういう事態になるのが嫌だから、事前に策を練るし、そういった事態になりそうならば、そうならないように早めに手を打ちます。だから悩んでいる人には、はっきりいってアドバイスができません。その悩みの原因は、何年もまえにあるものなのです。したがって、今から手を打っても、問題が解消されるのには、また長い時間がかかる場合がほとんどです。
 
コンプレクスというのは、誰もが持っているもので、裏を返せば、人間がそれぞれ違っていることの証です。問題は、そのコンプレクスをカバーする方法を、自分で築くことではないでしょうか。誰もが、自分から抜け出すことはできません。人は、現在の自分ができる範囲で、自分の好きな道を選ぶしかないのです。
 
なにごとに対しても、僕は自信がありません。自分は絶対に失敗する、なにをやっても上手くいかない、と悲観的に考えている人間です。だから、できるだけ失敗のない方法を選んで、おそるおそるやってみるしかない。そういう人生でした。スポーツで、監督は「自信を持て」と言ってますね。でも、負けるじゃないですか。自信を持っていても持っていなくても、どちらも同じ、というのが科学的な答えでは?
 
今の僕は、楽しみは仕事以外のことにあるので、仕事の時間を極力減らせば、その分、自分の好きなことに時間を使えるわけです。これは、金を稼ぐのと同じくらい重要なことですから、真剣に考え、着実に実行してきました
 
まず変えるべきものは「習慣」だろうと思う。こつこつを、少しずついろいろやることを「習慣」にする、という意味だ。そうすることで、考える習慣ができる。
 
・優れた人格は、できるだけ沢山の人の人格を尊重しようとする。そのために必要なのは、集中することではなく、分散し、発散する視点によって、優しく周囲から包み込むように考えることなのである。
 
・日本語のオノマトペには、言葉を繰り返すものが多い。分散の様は「ばらばら」「ちりぢり」であり、これらを「こつこつ」「ちまちま」と続けて「じわじわ」「だんだん」と進めていくのがよろしいと思う。だらだらと書いてきたが、このだらだらも、分散思考なのである。お許しいただければ幸いである。
 
そーそー!自分の好きなことには集中しちゃうもんね!♪ 「流し」なんて6時間、平気で演っちゃうもんねー!超オススメです!