「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「東田くん、どう思う?」(東田直樹 山登敬之)

 
最近、ハマっている東田直樹さんの本。自閉症者の頭の中身を言葉にしてくれて、はじめて理解が深まった。これってスゴいことだよね!?
 
自閉症の当事者である“東田くん”と、精神科医である“山登先生”が約2年半にわたり交わした往復書簡。発達障害や支援についての話題から、記憶や生き方、嘘や愛についてなどの哲学的なテーマまで―時に飛び出る東田くんの革新的な意見に、山登先生も「こりゃ驚いた!」。診察室ではできない率直でスリリングな掛け合いから生まれる発見の数々。生きづらさを抱える全ての人へ伝えたい」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
「社会の中で居場所をつくる 自閉症の僕が生きていく風景」改題。そのエッセンスを紹介しよう。
 
僕自身は小さい頃、自分が自閉症だという自覚はありませんでした。みんなのように話せないことで悩んではいましたが、人と違うと言われても、何が違うのかわからなかったのです。初めて映像で自分の姿を見た時にはおどろきました。そこには、僕が想像していなかった姿が、映し出されていました。どうしてあんなことをするのだろうと、僕も思ったものです。それは、普通の人が自閉症者を見て、奇妙だと感じる感覚と似ているのではないでしょうか。
 
僕の問題行動は、自分がしたくてやるというよりも、脳の命令に従ってやってしまうように思います。奇声もこだわり行動もパニックも、自分の力では止めることができません。それなのに、自分が望んでしている行動だと責められ続けることに、僕は矛盾を感じたのです。
 
話せない自閉症者は、誤解されていると思います。重度の自閉症者の中には、内面を表現できないだけで、いろいろなことを考えている人がいるのではないかと、山登先生が考えてくださったのは非情にうれしいことです。なぜなら、自分の力だけではどうしようもできない人たちの味方になってくれる人が増えれば、新たな可能性が見つかるかもしれないからです。
 
なぜ、みんなが興味のないものに僕が惹かれるのか、わかったような気がします成長とともに人が失ってしまう感覚を、僕がもち続けているのだとしたら、全部が問題行動だとは言えないのかもしれません。僕にとっては、まるで、満員電車に押し込められた時のように、ここで生きること自体がきゅうくつなのです。原始の感覚というものは、すでに必要がなくなったから、人は捨ててしまったのでしょうか。それとも、どこかに忘れているだけなのでしょうか。
 
知的障害者の人も、立派な大人になっています。何ができるかということばかりに、注目する人も多いですが、人間の価値はそれだけではないと、僕は信じています。どんな人の中にも「奇跡」はあると思いたいのです。
 
・僕は、言葉がわからないわけではありません。言葉を表出する段階でつまずいているのです。聞こえているのにもかかわらず、話せない。僕たちが「原始の感覚」をもっているのは「記憶」と関係があるからではないでしょうか。自分が時間軸の中で、どの位置にいるのかわからないために、その場面を思い返せても、時系列に並べることができないのです。
 
僕にとっては、今がすべてなのです。星のまたたきを見て、太陽の輝きを見て、時の流れを実感します。経験によって積み重ねる知識や理性は、役にたたないです。僕を生かしてくれるものは、わき起こるような衝動と、自然と一体化したような感性ではないかと思います。文明社会に僕たちの居場所はないのでしょうか。
 
・小さい頃、僕はみんなのようになりたくてしかたありませんでした。けれども大人になるにしたがい、その思いが薄れてきました。どんなに努力しても、普通にはなれないことがわかったからです。自閉症のまま生きなければならない。そう気づいた時、僕の心に残ったのは、絶望ではありません。僕は、自分のことが好きだったのです。僕にとっては、自閉症の自分が僕なのです。いくら周りから否定されても、自分を肯定する力があれば、苦しさから逃れられます。
 
障害者が生きていくためには、「みんな違っていいのです」の後に「どうか、困っている人たちに力を貸してください」という言葉を、つけ加えてもらわなければなりません。僕たちもこの社会の中で、居場所をつくらなければいけないのです。それは、働くことであい、みんなの仲間だと認めてもらうことです。障害をもって生まれたのは、本人が望んだことではありません。しかし、どのような人生を送りたいかは、その人の意見を尊重してもらいたいのです。もちろん、本人にも努力は必要です。応援するには、覆うの人たちの手助けがいると思います。支援が必要な人に適切な支援を届けられるのが、立派な社会に違いありません。
 
自分が人だと考えていなかった僕が、自分のことを人だと認識し始めた時、僕の胸は悲しみでいっぱいになりました。それは、人に対して魅力を感じていなかったからではないでしょうか。僕の周りには、こんなに美しいものがたくさんあるのに、人にならなければいけない現実に愕然としました。人として生まれたことが、今でも信じられません。
 
僕は恋をしたことはまだありません。その恋というものと人間愛がどういうふうに違うのか知りたいです
 
 
自閉症特有の記憶の仕方の違い」「「あいまいな記憶がない」未来につながらない僕の記憶」「まさか自分が人だと考えていなかった」「小さい頃、知らない場所では、自分が自分でなくなった」「「こだわり」と「好き」は正反対。逃げられない「こだわり」」「自暴自棄にならない精神力。自閉症者の秘めた理性に気づいてほしい」「コミュニケーションで育つのは会話力で、心ではない」「自閉症者は何ができ、できないかは、まだまだ研究不足」など。

 

どの文章も胸をうつ。なぜだろう!?これが私たちが忘れていた原始の感覚なのだろうか!?超オススメです。(・∀・)