この名著が書かれたのは1991年かあ、32年振りに再読しましたー!いいなあ!響くなあ!先日、テレビで『徹子の部屋』で『トットちゃん』の小林先生の話題が出たこと、そしていわさきちひろの『ラブレター』を読んで、これはなにか意味がある!と再読!こんな先生がいたんだね〜!スゴイなあ!(・∀・)そのエッセンスを紹介しよう。
・「私、切符屋さんになろうと思うんだ!」ママは、 おどろきもしないで、いった。
「でも、スパイになるっていってたのは、どうするの?」( そうだわ。昨日はまでは、絶対にスパイになろう、 って決めてたのに。でも、 いまの切符をいっぱい箱にしまっておく人になるのも、とても、 いいと思うわ)
・「じゃあ、これで、君は、この学校の生徒だよ」そういった。… …そのとき、トットちゃんは、なんだか、生まれて初めて、 本当に好きな人に逢ったような気がした。だって、 生まれて今日まで、こんな長い時間(4時間)、 自分の話を聞いてくれた人は、いなかったんだもの。そして、 その長い時間の間、一度だって、あくびをしたり、 退屈そうにしないで。トットちゃんが話してるあのと同じように、 身をのり出して、一生懸命、聞いてくれなかったんだもの。
・「みんな、海のものと、山のもの、持って来たかい?」 と聞いた。「はーい」山は…例えば、お野菜とか、お肉とか。 海は、お魚とか、佃煮とか。この二種類を、 必ずお弁当のおかずに入れてほしい、というのだった。“ 無理をしないこと” “ぜいたくしないこと” といってくださったから、山は“キンピラゴボウと卵焼き” で海は“おかか”という風でよかったし“おのりと梅干し” でよかったのだ。でもたまには、山だけだったり、 海だけという子もいた。そういうときでも心配いらない。 お弁当の中をのぞいて歩く校長先生の後から、 奥さんが料理におなべをひとつずつ持って、 どっちか足りない子の前で「海!」というと、ちくわの煮たのを、 二個ぐらい、「山!」といえば、おいもの煮ころがしが飛び出す。 海と山が揃った、ということが、うれしくて、 お互いに笑いあったり、叫んだりするのだった。
・校長先生は、トットちゃんを見つけると、いつも、いった。「 君は本当は、いい子なんだよ!」その度にトットちゃんは、 ニッコリして、とびはねながら答えた。「そうです。私は、 いい子です!」そして、自分でもいい子だと思っていた。この「 本当は」にとても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。 「いい子じゃないと、君は、人に思われているところが、 いろいろあるけど、君の本当の性格は、悪くなくて、 いいところがあって、校長先生には、それが、 よくわかっているんだよ」
・トモエが焼けた。それは夜のことだった。B29の飛行機から、 焼夷弾は、いくつも、いくつも、トモエの、 電車の校舎の上に落ちた。校長先生の夢だった学校は、いま、 炎に包まれていた。先生が何よりも愛した子どもたちの笑い声や、 歌声のかわりに、学校は、恐ろしい音をたてて、くずれていく。 もう、てのつけようもないくらい、その火は、学校を焼いた。 自由が丘の、あっちこっちにも、火の手が、あがった。 校長先生は、火を見ながら、そばに立っている息子の、 大学生の巴さんに、いった。「おい、今度は、どんな学校、 作ろうか?」小林先生の子供に対する愛情、教育に対する情熱は、 学校を、いま包んでいる炎より、ずーっと大きかった。先生は、 元気だった。トットちゃんは、満員の疎開列車の中で、 別れぎわに、先生が、いったこと、「また逢おうな!」汽車は、 闇の中を、不安の人達をのせ、音をたてて、走っていた。
・「窓ぎわ」という題名にしたのは、これを書き始めた頃、「 窓ぎわ族」という言葉が、流行しました。 なんとなく疎外されている。もはや第一線ではない。 そういう響きが、そこにありました。 私はチンドンやさんを待つために、いつも窓ぎわにいました。 どことなく疎外感も、初めの学校では感じていました。 そんなわけで、こういう題名にしたのです。
いいなあ。いまこそ、多様性とか学習障害とか、いろいろな個性が認められつつある、いまこそ、再読すべきだね。永遠の感動です。トモエ学園が消失するところは、涙なしでは読めない。超オススメです!(・∀・)