「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「勉強の価値」(森博嗣)

子どもの頃、親から「勉強しなさい!」と言われた記憶がない。友だちの家に行ったとき、友だちがお母さんから「勉強しなさい!」と言われたのを聞いたことの方が多いくらい。(笑)そこそこ成績が良かったのと、勉強するのがキライじゃなかったからね。今でも多くの親は「勉強しなさい!」って言うのだろうか!?知らんけど。

 

さてこの本。「勉強が楽しいはずない。僕は子供の頃あまりに美化された「勉強」に人生の大事な時間を捧げる必要があるか疑った。が、現在は人は基本的に勉強すべきだと考える。そう至ったのは何故か?人に勝つため、社会的な成功者になるためではない。ただ一点「個人的な願望」からそう考える理由とは?」そのエッセンスを紹介しよう。

 

いったい、「勉強」とは何だろう?どんな行為なのか?そして、一体何の役に立つのか?本書のテーマは、この「勉強」という行為が、どんな価値を持っているのか、というものである。
 
「勉強」を辞書で引くと「精を出して努めること」とある。僕は、この当たり前の価値観に、疑問を持っている。負けたくなければ、勉強しろ」?勝つことがそんなに重要なのか?勝つことの幻想を煽り、努力をさせ、勝てなかったときには「努力は無にならない」と慰める。どうして最初から「勝つことが目的ではない」という本来の精神を教えないのか?勝つことがそれほど大事なことなのか、と疑問を持たせることこそが、本当の教育ではないのか、と僕は考えている。
 
・僕は、人に勝つことに価値を見いださない人間である。また、人は自由であるべきだ、という信念を持っている人間でもある。勉強の価値を大学四年になるまで知らなかった。勉強をほとんどしなかった。ところが21歳になって、ようやく勉強をする理由に気づいた。それは「勉強の価値」になるものを見つけた、ということである。だから、この本の結論は「勉強した方が良い」ということになってしまう。
 
勉強というのは、その行為に目的があるのではないという点が重要なのだ。分かりやすく例を挙げよう。たとえば、金槌で釘を打つこと、これが「勉強」の本質である。もし、金槌で釘を打つことが楽しいという人がいれば、それはそれで幸せである。一生その趣味を続けて、釘を打ち続ければよろしい。しかし、普通は、釘を打つ目的がほかにあるその場合は釘を打つことが楽しく感じられるだろう。自分がつくりたいものがどんどん出来上がっていくし、また、釘の打ち方もしだいに上達するはずである。これもまた楽しい体験になる。
 
「音楽に合わせて金槌を振り、楽しく釘を打ちましょう」と指導するのが、「楽しく勉強しましょう」という「不思議な」現代の教育法といえる。どうすれば釘の打ち方を効率よく学べるでしょうか?」という質問も、本質から外れた問題だとご理解
いただけると思う。「釘打ちコンテスト」で人に勝つために努力しましょう、という方向性も、やはり目的を失っている結果である。釘打ちを学ぶことが楽しく感じられる唯一のケースは、作りたいものが目前にある場合である。
 
学ぶための方法(学ぶという方法の方法)を教えているのが、義務教育だといえる。「楽しくないけれど我慢しなさい」と説得することが正しい。大人は子供に対して正直になるべきだ。僕自身、小学校、中学校で学んだことに、感謝の念を抱いている。大嫌いだったけど、なんとなく、逃げ出すことなく、学んでおいて良かった、と思うしだいである。
 
自分はこれがしたい、というものを見つける。それからが本当の勉強の始まりである。もう、そうなれば「楽しさ」というエネルギィによって、たとえ誰かに止められても前進し続けることになるだろう。したがって、勉強は大人のためのものである。子供が学校で習っているのは、大人になってから本当に楽しい勉強ができるための基礎体力をつけているようなものだ。
 
勉強というのは、つまり、人の能力を高めるすべての行為のことだ。人それぞれに、その人の勉強があり、その人に適した勉強法がある。各自に「自分の勉強」を発見させる行為こそが、すなわち「教育」というものである。
 
「引き籠もり」がクローズアップされ始めたとき、僕はこれからの社会は、引き籠もりが大勢生まれてそういったライフスタイルがマイナではなくなるだろう」と感じた。子供たちから始まったのは、社会の常識に囚われない自由な思考と感性を持っていたのが子供だったからだ。当時は、大人には、そんな生き方はまだ許されなかった。大人の引き籠もりは、増加し、しだいに社会に浸透しつつあるはずだ。
 
計算ができることが、すなわち「頭が良い」ことではない。これは、ジョギングができるからといって、いきなり野球選手になれないのと同じだ
 
・企業の面接のときには、学生に質問をして、それに答えさせるのが普通だ。しかし「なにか、疑問点などはありますか?」と学生に尋ねて、その質問の内容で評価点をつけるのが一番的確だ。何を?どこを尋ねるのか?という着眼や個性、あるいはその学生の志向を見ることができる。答えることよりも、問うことの方が、ずっと難しく、またその人間の能力が試されているのは確実だ。国会中継でも、「馬鹿な質問をしているな」と思うことが多いのでは?
 
・あまり聞かないのは、老人の数学教室や、老人の物理学講座などである。需要がないからだろうか。科学実験などは面白そうだと思うし、生物学や天文学くらいだったら、ありそうに思えるのだが、いかがだろうか?
 
・模型を作っている老人は、次は何を作ろうか。どんなふうに作れば良いか、なにか新しいことをやって仲間を驚かせてやろう、というように考えている。だからこそ、90代になっても作り続けることができる。やはり自分が「楽しい」と感じる対象を素直に実行することだ、と僕は思う。
 
・面白いのは、模型を作り続けている高齢者は、口を揃えてもうすぐ死ぬからね。もういつ死んでもおかしくない」と笑っておっしゃることである。
 
・画家や小説家で長寿の人からは、年齢からは想像もできないほどのパワーを感じられる。創作に対して極めて精力的だ。芸術も模型も、創造的な行為であり、頭が新しいものを産み出そうと「考える」点で共通している。またそのため常に、新しい情報を取り入れようと「勉強」している。おそらく、このあたりが「頭の体操」に良い結果をもたらすのだろう。
 
・老人に特におすすめの「勉強」は、個人研究である。
 
勉強をするほど、人は謙虚になる。何故なら、世界の英知に近づき、人類の慧眼に接することで、自身の小ささをしることになるからだ。それだけでも、勉強をする価値がある。そして、自身を見つめることの楽しさが、少し遅れて、必ず訪れるだろう。勉強は、生きる方法を学ぶことではなく、生きる人間の価値を高めるものである。
 

なるほど!スッキリした!この年になって勉強の価値が腑に落ちた!新年早々、この本に出会って良かった!さあ、何を勉強しようかな!超オススメです!(・∀・)