期待が大きすぎると、それ以下の場合は、がっかりするし、それほど期待していなかったものが、それ以上だとなんかウレシイよね!♪ この本は、タイトルを見て「ふーん……」というほどだったけど実にオモシロイっ!♪ラッキー!良い本に出会いました!♪
「ここから、人とつながる! 孤独の哀しみを乗り越えて、ひらき、出逢い、心で通じ合う、自分にうそをつかないで、人とつながる勇気のレッスン。「ほぼ日刊イトイ新聞」の「おとなの小論文教室」から第二弾」そのなかで二つの印象的な章を紹介しよう。
【連鎖】
・もうすっかりよくなったのだが、 こんなに人間嫌いになっていたことがあった。
悪意のメールが来たのだ。
メールから来た顔も知らぬ人の悪意、それが、私に来て、 私が弱さで持ちきれず、母にぶつけ、それを母が持ちきれず、 帰って父にぶつけ……、
悪意は連鎖する
そう思ってはっとした。私に悪意を向けた人、 その人の悪意はどこから来たのだろう?母は、ここ(腹)で、 悪意の連鎖をとめたのだ。強さってなんだろうか?
自分が弱いから、まわりをよくして、世の中をよくして、 まわりから支えていただく、という方向も考えなければ。 世の中をよい連鎖がめぐって、 めぐりめぐって母にも傷つけた人にも、 まわりから何か返せるかもしれない。
今日、よい連鎖を自分から起こせるか?たったいま。自分の出す、 この言葉から。
【生きる実感】
・若い人と話していると「実感がうすい」「生きる実感がほしい」 という。「生きる実感」と問われて、きっと人が期待する答えは「 歓びの瞬間」だと思う。たとえば、 生まれて初めての本を書き上げて、達成感に満ち、 読者と通じ合う瞬間とか。講演で、何百人の人と、 通じ会えた瞬間とか。それは、本当に素晴らしい。 でも歓びは一瞬で過ぎてしまう。
待てよ、これこそが生きる実感ではないか?
自分の無意味感から逃れつつ
空気圧にじっと耐えて、
昨日と同じ今日を、また、同じ凡庸な朝を生きる覚悟、
それをうんざりしても、毎日繰り返し続けていることこそが「 生きる実感」である。ということなのではないだろうか? 若い人が探し求めている方の「生きる実感」って、 歌でいうところの「サビ」の部分ではないか?
それより圧倒的に長い、 おさえた部分があるからこそほんの一瞬だけ、光り輝く、 盛り上がりの部分。「生きる実感」がほしいと言うとき、 もしかして「サビがほしい」と言っているのかもしれない。でも、 サビは、サビの部分だけつかもうとして、つかめたら、 実感はうすい、もはやサビではなくなる。 もっとも虚無が押し寄せ、 なんんみも起きない日常におしつぶされそうになっていた、 あの時間こそ、もっとも自分は生きていたと思う。あれが、 命を燃やすということではなかっただろうか?あなたにとって「 生きる実感」とはなんだろう?
・いま、いろいろな問題が起こっているけれど、 その原因を洗い出して、その元をたどっていくと「 コミュニケーションの問題」に行き着くんじゃないだろうか? しかもすれちがっているのは「言葉」だと思う。もっといえば、 たくさんの人が「自分への理解の言葉」に飢えている。 理解を注いでほしいところに、必要な理解が「言葉」 として注がれない。それが「寂しさ」となり、それが、つもって、 人の判断力を曇らせ、誤解や、すれ違い、摩擦を生んでしまう。 それが、また「寂しさ」の種を増やしていく。
これはいい!( ・∀・)イイ!! 実に考えさせられるなあ!オススメです。(・∀・)