「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人とつながる表現教室」(山田ズーニー)

 

期待が大きすぎると、それ以下の場合は、がっかりするし、それほど期待していなかったものが、それ以上だとなんかウレシイよね!♪ この本は、タイトルを見て「ふーん……」というほどだったけど実にオモシロイっ!♪ラッキー!良い本に出会いました!♪

 

「ここから、人とつながる! 孤独の哀しみを乗り越えて、ひらき、出逢い、心で通じ合う、自分にうそをつかないで、人とつながる勇気のレッスン。ほぼ日刊イトイ新聞「おとなの小論文教室」から第二弾」そのなかで二つの印象的な章を紹介しよう。

 

【連鎖】
 
・もうすっかりよくなったのだが、こんなに人間嫌いになっていたことがあった。
 
悪意のメールが来たのだ。
 
メールから来た顔も知らぬ人の悪意、それが、私に来て、私が弱さで持ちきれず、母にぶつけ、それを母が持ちきれず、帰って父にぶつけ……、
 
悪意は連鎖する
 
そう思ってはっとした。私に悪意を向けた人、その人の悪意はどこから来たのだろう?母は、ここ(腹)で、悪意の連鎖をとめたのだ。強さってなんだろうか?
 
自分が弱いから、まわりをよくして、世の中をよくして、まわりから支えていただく、という方向も考えなければ。世の中をよい連鎖がめぐって、めぐりめぐって母にも傷つけた人にも、まわりから何か返せるかもしれない。
 
今日、よい連鎖を自分から起こせるか?たったいま。自分の出す、この言葉から。
 
 
【生きる実感】
 
・若い人と話していると「実感がうすい」「生きる実感がほしい」という。「生きる実感」と問われて、きっと人が期待する答えは歓びの瞬間」だと思う。たとえば、生まれて初めての本を書き上げて、達成感に満ち、読者と通じ合う瞬間とか。講演で、何百人の人と、通じ会えた瞬間とか。それは、本当に素晴らしい。でも歓びは一瞬で過ぎてしまう。
 
待てよ、これこそが生きる実感ではないか?
 
自分の無意味感から逃れつつ
空気圧にじっと耐えて、
昨日と同じ今日を、また、同じ凡庸な朝を生きる覚悟、
それをうんざりしても、毎日繰り返し続けていることこそが「生きる実感」である。ということなのではないだろうか?若い人が探し求めている方の「生きる実感」って、歌でいうところの「サビ」の部分ではないか?
 
それより圧倒的に長い、おさえた部分があるからこそほんの一瞬だけ、光り輝く、盛り上がりの部分。「生きる実感」がほしいと言うとき、もしかして「サビがほしい」と言っているのかもしれない。でも、サビは、サビの部分だけつかもうとして、つかめたら、実感はうすい、もはやサビではなくなる。もっとも虚無が押し寄せ、なんんみも起きない日常におしつぶされそうになっていた、あの時間こそ、もっとも自分は生きていたと思う。あれが、命を燃やすということではなかっただろうか?あなたにとって「生きる実感」とはなんだろう?
 
・いま、いろいろな問題が起こっているけれど、その原因を洗い出して、その元をたどっていくとコミュニケーションの問題」に行き着くんじゃないだろうか?しかもすれちがっているのは「言葉」だと思う。もっといえば、たくさんの人が「自分への理解の言葉」に飢えている理解を注いでほしいところに、必要な理解が「言葉」として注がれない。それが「寂しさ」となり、それが、つもって、人の判断力を曇らせ、誤解や、すれ違い、摩擦を生んでしまう。それが、また「寂しさ」の種を増やしていく。
 
 
「とりかえしがつかない?」「「おわび」の時間」「「通じ合う」という問題解決」「練度の高い正直(司馬遼太郎)」「話をしていておもしろい人」「声に宿るもの」「いわさきちひろの「ラブレター」」など。

 

これはいい!( ・∀・)イイ!! 実に考えさせられるなあ!オススメです。(・∀・)