長渕剛の2ndアルバム『逆流』の中の『男は女が必要さ』で、「♪〜時は11月ある晴れた日曜日 『照和』っていう こ汚いフォーク喫茶で〜♪」のフレーズで有名な、以前から名前だけは知っていた博多の伝説のフォーク喫茶『照和』。(・∀・)
そおかあ……こんなドラマがあったのか?財津和夫ってスゴイんだなあ……チューリップと海援隊ってこんな関係だったのかあ!とあらためて知り、感動っ!フォークソングの黎明期のドキュメント。そのエッセンスを紹介しよう。
彼は『照和』に二年間に出演した。彼にとっては『照和』 での生活が青春のすべてでもあった。ひたすらプロを目指して、 九州産業大学の先輩・ 岩切みきよしとライバルとしてしのぎをけずったし、 門田一郎にはいろいろな面でお世話になっていた。 それだけではない。照和で、大恋愛もした。夜中に練習していて、 人知れず忍び泣きをしたこともあった。 そんなことが走馬灯のように次から次へと思い出されてきた。 しかし、彼には感傷に浸っている余裕はなかった。 念願のデビューを果たしただけに、今が勝負だった。 今を乗り超えることがすべてだった。過去を振り切るように、 彼はギターを思い切りかき鳴らした。
チューリップ、海援隊、甲斐バンド、長渕剛、リンドン、ラム、 仁井まさお、西田恭平、ショット・ガン、NOVA、金尾義郎、 モッズ、ロッカーズ、岩井啓二…… などいくたのアーティストを輩出し、「フォークのメッカ」 と異名をとった博多のライブハウス『照和』 の歴史にピリオドが打たれた。 1978年12月1日のことだった。
・「おい武田、大学、面白いか?」一浪の末、 福岡教育大学に入学した武田鉄矢に、 同じく一浪の末に西南学院大学に入学した中牟田俊男が声をかけた 。1969年5月のことだった。 武田と中牟田は同じ高校の友達同士、久しぶりの再会に、 ふたり心は開放的だった。「武田、大学、面白くないから、 何かしないか?グループ作って、うたわないか。ほら、 高校の文化祭のときに、ギターの上手い野田って男がいただろう。 あいつ、ギターを持ってるから、三人でグループをやらないか」「 しかし、オレ、歌、下手クソだし、ギターなんか弾けないぜ」「 武田は司会をやってくれればいいんだ。お前、高校のとき、 生徒会長もやったし、弁論大会でも優秀だったろう。 そレで十分だよ」(そうか。司会か。 しゃべりなら自信はあるからな)こうして、武田、中牟田、 野田正信の三人からなるフォーク・グループ「ヤング・ ラディーズ」が結成された。
「井上陽水、もう一つの動向ープロへの道」「財津和夫、 中央への野心」「関西フォークの奔流、九州に到達」「 チューリップ再編、伝説の猛練習始まる」「泉谷しげると海援隊」 「『照和』新しいうねりの中に甲斐よしひろがいた」など。
スゴイなあ……この時代の息吹がカンジられる。若さっていいねえ、青春だねえ。音楽ファン、フォークファン必読っ!オススメです。(・∀・)