このタイトルを見て!?ナヌっ!?(・。・)!神社では、柏手を打つんじゃないの!?
二礼二拍手一礼じゃないの!?って思うよね〜!まさに目からウロコ!!!
「日本人が「しきたり」と思っている行事には、ごく最近生み出されたものが少なくない。私たちは「しきたり」とどう向き合えばいいのか。「しきたり」の概念を根底から覆す一冊」そのエッセンスを紹介しよう。
・しきたりは、生活のなかに組み込まれている。したがって、 生活が変化していくと、それまでのしきたりが、 時代とそぐわないものになっていたりする。現実的には、 大昔からずっと受け継がれてきたしきたりというものは、 ほとんど存在しないのだ。
・神社の「二礼二拍手一礼」という作法が広まったのは、 それほど昔からのことではない。 浸透したのは平成の時代になってからで、昭和の時代には、 まだそれほど広まっていなかったのではないだろうか。以前は、 基本的には「合掌」である。
・江戸時代の1763年に、 芙蓉山人という人物が出した書物に『伊勢参宮細見大全』 がある。伊勢詣のガイドブックだ。 そこの伊勢神宮の内宮の参拝者の様子が描かれている。 それを見ると、参拝者は、座り込み、合掌して、神を拝んでいる。 なかには、頭を垂れて、一心に拝んでいる人物もいる。 逆に柏手を打っているような人間は一人もいない。
・昔の人達は、神に祈るという場合、座り込むか、 それに近い形をとったことである。 現在の二礼二拍手一礼は立って行うものである。 果たして神に祈るとき、 立って礼拝するというのは正しいやり方なのだろうか。
・東京都神社庁のホームページを見てみると、「神社参拝の作法」 ということで、 手水の仕方や産廃の仕方が動画を使って説明されている。ただ、 最初の部分には「 私たちが神社にお参りする際の作法には厳格なきまりはありません 。敬意の表し方はそれぞれですし、参拝の作法も、 神社や地域によって特色があります」と書かれている。「 一般的な礼拝作法やマナーをとりあげて、 できるだけわかりやすくまとめ」たと説明され、 二礼二拍手一礼の参拝の仕方が示されている。
・では、二礼二拍手一礼の作法は、 いったい誰がどうやって定めたものなのだろうか。 歴史を遡ってみると、1875年4月に刊行された『神社祭式』 に行き着く。
・しきたりとして意外なほど新しいのが除夜の鐘である。 除夜の鐘が俳句の季語として定着するのは昭和の時代に入ってから 。1924年の大晦日の『東京朝日新聞』 に寛永寺と浅草寺の鐘撞きの老人にインタビューしており、 二人は永年それをつとめてきたとされる。寛永寺の鐘撞きは「 時の鐘を撞いてゐるだから特別に除夜の鐘ナンか撞いて居られやし ませんやね」と答えている。
・除夜の鐘が各宗派に広がったのは、 ラジオの力によるものだった。1927年『ゆく年くる年』 には前身となる番組『除夜の鐘』というタイトルで、 ラジオとして始まりました。上野・ 寛永寺に頼んで除夜の鐘といしうて生中継し、 これが契機となって全国の寺院が取り入れたことに間違いない。
・クリスマスにはイルミネーションがつきものだが、そのはじまりは、スーパーの明治屋が1900年、創業者の磯野計(はかる)は、銀座に進出した際、イルミネーションをはじめたのが初めて。明治から大正の歌人・木下利玄には「明治屋のクリスマス飾りと煌(きら)びやかなり粉雪降り出づ」という歌がある。
・最近の怪しげなしきたりで、神社の参道は、中央は神の通るところなので、参拝者はそれを避けるべきだというものがある、神社がことさら、そうしたことを強調しているわけではない。もし、本当に参道の中央が神のためのもので、人が避けて通るべきものだったとしたら、そこは、人が通れないようにしてあるはずだ。実際、神が宿るとされる神体山などは神域とされ、神職さえ足を踏み入れることができなくなっている古い神社もある。それに確たる理由はない。伊勢神宮の場合、内宮では右側、外宮では左側を通ることになるのは、それぞれそちら側に手水舎が設けられているからで、ほかに理由があるわけではない。
「初詣は鉄道会社の発明」「交通網の発達がしきたりを変えてゆく」「結婚式に祝儀など持っていかなかった」「どう考えても無駄な半返し」「クリスマスはキリスト教の行事じゃない」「イエス・キリストの誕生日は不明」「ハロウィンの起源は江戸時代の花見」「お年玉はいつからはじまったのか」など。
ほー!知らなかったっ!これ、みんな知らないよね。これからは「合掌」にしよう。オススメです。(・∀・)