「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」(鵜飼秀徳)

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仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

 
 この本はショッキングだっ!!!胸が締めつけられるような切ない、残念な気持ちになってしまった……。
 
興福寺阿修羅像、五重塔も消滅の危機にあった!文明開化の明治にも光と影がある。その影の部分を象徴するのが廃仏毀釈である。日本史上でも例が少ない大規模な宗教への攻撃、文化財の破壊はなぜ行なわれたのか?自らも僧侶である著者が、京都、奈良、鹿児島、宮崎、長野、岐阜、伊勢、東京など日本各地に足を運び、廃仏毀釈の実態に迫った近代史ルポ。百五十年のときを経て、歴史が甦る!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・日本の宗教は、世界の宗教史の中でも特殊な形態を辿ってきた。中世以降江戸時代まで、神道と仏教がごちゃまぜ(混淆(こんこう)宗教)になっていたのである。祈祷もするし、念仏も唱えるし、祓(はらえ)も、雨乞いもする。寺と神社が同じ境内地に共存するのも当たり前、神に祈るべき天皇が出家し、寺の住職を務めた時代も長かった。このように、日本では実におおらかな宗教風土が醸成されてきたのだ。しかし、明治維新を迎えたとき、日本の宗教は大きな節目を迎える
 
・新政府は万人を統制するために、強力な精神的支柱が必要と考えた。そこで、旺盛復興、祭政一致の国づくりを掲げ、純然たる神道国家(天皇中心国家)を目指した。この時、邪魔な存在だったのが、神道と混じり合っていた仏教であった新政府は神と仏を切り分けよ、という法令(神仏分離令)を出し、神社に祀られていた仏像・仏具などを排斥。神社従事していた僧侶に還俗を迫り、葬式の神葬祭への切り替えなどを命じた。この時点では、新政府が打ち出したのはあくまでも神と仏の分離であり、寺院の破壊を命じたわけではなかった。だが、時の為政者や市民の中から、神仏分離の方針を拡大解釈する者が現れた。そして彼らは、仏教に関連する施設や慣習などを悉(ことごと)く毀(こわ)していった。これが廃仏毀釈の概要である
 
・なかでも廃仏毀釈が激しかった地域は、水戸・佐渡・松本・苗木(岐阜)・伊勢・土佐・讃岐・隠岐・宮崎・鹿児島などである。徹底的に寺院が破壊された。苗木・隠岐鹿児島では寺院と僧侶が、地域から完全に消えた興福寺など奈良の古刹で、天平時代の古仏も含む多くの仏像が焚き火の薪にされてしまった。廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減し、多くの仏像が消えた。廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに三倍はあっただろうと、指摘している。国の財産が失われただけではない、廃仏毀釈は、日本人の心も毀した。
 
なぜ、信仰が憎悪に転じたのか。それはいつの時代も、熱狂に飲まれやすい、日本人の独特の国民性にあるかもしれない。廃仏毀釈は、日本人のアイデンティティを観察できる教材もある。

 

……鹿児島で寺院と僧侶がゼロって……。すごいなあ……廃仏毀釈がこれほどのものだとは思わなかった……。オススメです!(@_@)!

 

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仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)