この本はショッキングだっ!!!胸が締めつけられるような切ない、残念な気持ちになってしまった……。
「興福寺阿修羅像、五重塔も消滅の危機にあった!文明開化の明治にも光と影がある。その影の部分を象徴するのが「廃仏毀釈」である。日本史上でも例が少ない大規模な宗教への攻撃、文化財の破壊はなぜ行なわれたのか?自らも僧侶である著者が、京都、奈良、鹿児島、宮崎、長野、岐阜、伊勢、東京など日本各地に足を運び、廃仏毀釈の実態に迫った近代史ルポ。百五十年のときを経て、歴史が甦る!」そのエッセンスを紹介しよう。
・日本の宗教は、世界の宗教史の中でも特殊な形態を辿ってきた。 中世以降江戸時代まで、神道と仏教がごちゃまぜ(混淆( こんこう)宗教)になっていたのである。祈祷もするし、 念仏も唱えるし、祓(はらえ)も、雨乞いもする。 寺と神社が同じ境内地に共存するのも当たり前、 神に祈るべき天皇が出家し、寺の住職を務めた時代も長かった。 このように、 日本では実におおらかな宗教風土が醸成されてきたのだ。しかし、 明治維新を迎えたとき、日本の宗教は大きな節目を迎える。
・新政府は万人を統制するために、 強力な精神的支柱が必要と考えた。そこで、旺盛復興、 祭政一致の国づくりを掲げ、純然たる神道国家(天皇中心国家) を目指した。この時、邪魔な存在だったのが、 神道と混じり合っていた仏教であった。 新政府は神と仏を切り分けよ、という法令(神仏分離令)を出し、 神社に祀られていた仏像・仏具などを排斥。 神社従事していた僧侶に還俗を迫り、 葬式の神葬祭への切り替えなどを命じた。この時点では、 新政府が打ち出したのはあくまでも神と仏の分離であり、 寺院の破壊を命じたわけではなかった。だが、 時の為政者や市民の中から、 神仏分離の方針を拡大解釈する者が現れた。そして彼らは、 仏教に関連する施設や慣習などを悉(ことごと)く毀(こわ) していった。これが廃仏毀釈の概要である。
・なかでも廃仏毀釈が激しかった地域は、水戸・佐渡・松本・ 苗木(岐阜)・伊勢・土佐・讃岐・隠岐・宮崎・ 鹿児島などである。徹底的に寺院が破壊された。苗木・隠岐・ 鹿児島では寺院と僧侶が、地域から完全に消えた。 興福寺など奈良の古刹で、 天平時代の古仏も含む多くの仏像が焚き火の薪にされてしまった。 廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減し、 多くの仏像が消えた。 廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに三倍はあっただろうと、 指摘している。国の財産が失われただけではない、廃仏毀釈は、 日本人の心も毀した。
……鹿児島で寺院と僧侶がゼロって……。すごいなあ……廃仏毀釈がこれほどのものだとは思わなかった……。オススメです!(@_@)!