「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「松田聖子の誕生」(若松宗雄)

 

いまでも松田聖子の中でイチバン好きなのは、デビュー曲裸足の季節だ。なぜなら、はじめてその歌声を聴いたときの衝撃が忘れられないからだ。それほどファンでもないのに、歌声の魅力はいまでも変わらない。

 

さてこの本。松田聖子の誕生秘話が満載!「すごい声を見つけてしまった」一本のカセットテープから流れる歌声が、松田聖子の始まりだった芸能界入りに強く反対する父親、難航するプロダクション探しと決まらないデビューなど、相次ぐハードルを独特の魅力を武器に鮮やかにとび越えていく。地方オーディションに夢を託した、「他の誰にも似ていない」16歳の少女の存在がやがて社会現象になるまで、間近で支え続けた伝説のプロデューサーが初めて明かす」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・その声を初めて聴いたのは1978年の5月だった。全身全霊にショックを受けた。福岡県に住む16歳の歌声は、どこまでも清々しく、のびのびとして力強かった。明るさとしなやかさとい、ある種の知性を兼ね備えた唯一無二の響き。私は元来「直感」が鋭く自分の感性を大切にして生きているが、そのときの衝撃は今も忘れられない。

 

目の前に、とあるオーディションのカセットテープが山積みにされていた。私はプロフィールや写真も見ないまま、各地区大会のテープを1本1本聴いていった。声の良し悪しは聴けばすぐにわかる。かくしてその声はプラスチックケースの山の中で未だ眠っていた。いや、待っていたと言うほうが正しいかもしれない。あの日あの場所に彼女の歌声が存在することを、私は知っていたような気がする。何者かに突き動かされるように無心でテープを次々に聞き、200曲近い曲数にも関わらず、ずっと期待感のようなものを持ってその場にいた。あの感覚は何だったのだろう。

 

カセットテープを入れて再生ボタンを深く押し込んだ瞬間、どこまでも伸びゆく力強い歌声が小さなスピーカーから想定外の迫力で室内へと響き渡った。

 

そのとき、時空を二つに分けるように一本の線が引かれた気がする。言ってみれば、彼女の歌声が人々の心を動かし始める前の世界と、以後の世界だった。歌声の衝撃を例えるなら、真夏のスコールの後に曇天が消え去り、どこまでも永遠に続く南太平洋の青空が眼前に広がったかのようだった。

 

「こんなすごい子がいるんだ!!」

 

声量もある。かわいさもある。存在感もある。聴いているだけで胸が高鳴り、どこか楽しい場所へと出かけてみたくなる。この日の出会いがなければ、私の人生も漢書の人生も、いまとは違ったものになっていただろう。

 

「すごい声を見つけてしまった」


私は心の中でつぶやいた。

 

「多分ダメですよ。父親と学校が強硬に反対していて、かなり難しいみたいだから」父親?学校?まずは本人と話してみなければわからないじゃないか。仕事に障壁があって当然だろう。何より、こんな才能を埋もれさせるわけにはいかない。

 

彼女が歌っていのは桜田淳子『気まぐれヴィーナス』。16歳になったばかりの少女は、実に楽しげにのびのびと歌っていた。まだ荒削りであったが、まるで最初から自分の持ち歌であるかのような存在感が歌の中にあった。さらに言えば、声全体から大衆の心を動かすような潜在能力さえ感じられた。野生味あふれる歌声に強く惹かれた。その声は見つけてくれる人を待ち侘びているかのようでもあり、無垢で無邪気な佇まいのままだった。

 

思えばそれは歌手・松田聖子の産声だったのだ。

 


・「私は絶対に歌手になりたいのです。父は反対していますが、私の気持ちをいつか必ず理解してくれるはずです。とにかくあらゆる努力をしますので、これからも私自身の気持ちは変わりません私にもう一度チャンスをください。どうかよろしくお願いいたします」と決意の封書。歌手になりたいという素直な気持ちが、改めて一文字一文字から熱く伝わってきた。私は聖子から6通の手紙をもらっている。それだけでも松田聖子という人間の「想い」の強さと、真っ直ぐな人間性を理解していただけるはずだ。

 

・1977年3月1日に発売された『やさしい悪魔』では、冒頭の足音に、何を隠そう私が履いていたブーツが使われている。レコーディング現場で吉田拓郎さんが考え事をしていた。聞けばイントロ前に何かしたらのサウンド・エフェクションがほしいという。そこで不意に思いついたのがブーツの音。「若松さん、そのブーツ借りていい?」とマイクの前でコツコツと鳴らしてみせた音が、あの印象的な冒頭部分の「悪魔の足音」として使われているのだ。

 

松田聖子は誰にも似ていなかった。

 

松田聖子の歌は「発明」だと言われることがある。あの独特の歌い方、唯一無二の声。彼女はそれを最初から持っていた。天性のものなのだ。彼女は迷いなくそれを「想い」として歌に乗せていた。私はそこに、南の島や高原の空気感、都会的で洗練された世界、あるいは透明感あふれる乙女の気持ちを文学的な香りとともに重ねたら最高のエンタテイメントになるのではないかと考えた。同時にサウンドを最先端の洋楽的なものにすること。そして作詞家や作曲家、アレンジャーに思いっきりそれを表現してもらう場を作った。


「父親の許しをもらうまで」「決して偶然でなかった出逢い」「難航するプロダクション探し」「デビューのための上京」「スターへの階段」「松田聖子は輝き続ける」「アルバムとシングルについて」など。

 

いいなあ。裸足の季節!あらためて聴いちゃった!やっぱり聖子ちゃん、いいなあ。アイドルファン必読っ!オススメです!(^ω^)