「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか カーニズムとは何か」(メラニー・ジョイ 玉木麻子)

この本は衝撃的だ。読むだけで一部の人は肉食をやめるかもしれない。耐えられないかもしれない。書かれていることは事実。真新しいことはないかもしれない。しかし、この事実に直面することを背けてきた私たちのこれからの食生活が変わるかもしれない。(・∀・)
 
 
私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか 私達が当然のこととして受け入れているカーニズム(肉食主義)は、家畜動物に生まれてから死ぬまで、想像を絶する苦痛をもたらし、世界中のあらゆる場所で不正行為の原因ともなっている。また、この不可視化された信念体系は、私たちの考えを歪め、感覚を麻痺させている。カーニズムの成り立ちを、社会心理学的視点から分析し、畜産業に従事する人や一般人へのインタビューを交えた分析をもとにその仕組みを解き明かす、気鋭による画期の書」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
今日、地球上でもっとも不幸な生き物は何だろうかと、オリンピックのスタイルで競争したら、金メダルをかけて争うのはおそらく、人間の気まぐれとにニーズを満たすために飼育される牛と鶏と豚であるのは間違ないのだろうしかしなぜこの動物たちの生きざまはそんなにも残酷なのだろうか?
 
・家畜動物の社会的あるいは感情的ニーズは無視されている。現代は家畜動物を、豊かな感情や感覚を持つ生き物ではなく、まるで牛乳、肉、卵を作り出すマシンであるかのように扱うのである。
 
・食肉・非肉食の認知は、何の動物に由来するかによってだけ変わるのではなく、同じ肉に対しても変わります。例えば、ヒンズー教の人は牛肉に対して、キリスト教徒のアメリカ人が犬の肉を見て起こすような反応を示します。認知の仕方にいろいろなバリエーションがあるのはスキーマによるものです。スキーマとは私たちの信念、思考、知覚、そして経験を形作る「あるいはそれによって形作られる」心理的な枠組みで、自動的に入ってくる情報を形づくり解釈します。
 
カーニズムは、人間に特定の種の動物を食べることを条件づける信念のシステムです。動物を食べる生き物を肉食動物と考えることがあります。しかし肉食動物とは定義によると、生存のために肉に頼らざるをえない動物のことを指します。今日、世界中のあらゆるところで人々は、必要だからではなく、信念に基づく選択肢の一つとして自ら選び肉を食べているのです。
 
現代のカーニズムは広範囲にわたる暴力を伴います。今日の畜産業が現在の利ざやを維持するためには、それに足りるだけの動物を虐殺せねばならず、そのためには現状行われているレベルの暴力が必要なのです。カーニズムの暴力性はほとんどのひとにとっては目をそむけたくなる程の残酷さで、目撃してしまった人はひどく取り乱してもおかしくないくらいです。食肉加工や虐殺の過程を目にしてきた結果、侵入思考、悪夢、フラッシュバック、集中力欠如、不安、不眠症などといったPTSD(心的外傷後後ストレス障碍)に悩まされてきました。人間は動物が苦しむところを見るに堪えません
 
アメリカの畜産業界は、年間110億頭もの家畜を虐殺しています。それ以外にも推定470億の魚や水生動物を食用に捕獲しています。換算すると、一分間に2万3000以上の、1秒間に380以上の生き物の命が奪われていることになります。
 
・食卓に並ぶ肉、卵、乳製品の多くを生産する施設は、基本的には見えません。私たちがそれらを見ることはないのです。見るべきではないから見えないようになっているのです。
 
 
「犬を食することの問題」「534号の生涯」「使い捨て採卵鶏」「乳牛の苦悶」「もしも屠殺場の壁がガラス張りだったら」「人間が屠殺マシンになる時」「カーニズムを正当化する3つのN(Normal、Natural,Necessary)」など。

 

いや〜。心優しい人はココロが悼むだろうなあ……。よくぞ、出版してくれました。超オススメです。(・∀・)