「宇宙飛行士のぼくが降り立ったのは、なんと目が3つあるひとの星。普通にしているだけなのに、「後ろが見えないなんてかわいそう」とか「後ろが見えないのに歩けるなんてすごい」とか言われて、なんか変な感じ。ぼくはそこで、目の見えない人に話しかけてみる。目の見えない人が「見る」世界は、ぼくとは大きく違っていた」そのエッセンスを紹介しよう。
・このほしの人たちは、後ろにも目があるので、まえもうしろも一度に見えるらしい
「え?!キミ、うしろが見えないの?」「えーっ?!不便じゃない?可哀そう!」
「いや、ぼくはべつにこれが普通だから」
見え方が違うだけなのに、みんなすごく気を使ってくれて、ヘンな気持ちだった
うまれつき「うしろの目だけ見えない」って人がいた。
僕と同じだから、すごく話が盛り上がった。自分と同じだと思うと、やっぱりなんていうか、安心する。
「いいなー!地球。ぼくはここだと「珍しい」けど、地球では、うしろが見えないのが「当り前」なんでしょ!?」
・もし、みえない人ばっかりの星があるとしたら……きっとこんなかんじじゃないかしら。
どこに何をいれたかわかるようにポケットだらけの服、声のいい人がモテる、手触りや匂いで服を選ぶ、どんなものでもさわっていいのが当り前、粘土メモを使う、
みえないひとは「音」や「匂い」や「手ざわり」でいろんなことがわかる。
「みえないから できないこと」は、たくさんあるけど
「みえないからこそ できること」もたくさんある
みえる人と 見えない人とでは、
世界の 感じ方がぜんぜ違う
ってことは「別の世界に 住んでいる」ってことなんだろうか。
でもそもそも、ぼくたちは みんな ちょっとずつ違う
みんな それぞれ その人にしか わからない
そのひとだけの 見え方や 感じ方を持っている
身体の特徴や見た目は乗り物のようなものだ。
「その乗り物の得意なこと」は、かならずあるけれど、乗り物の種類を自分をで選ぶことはできない。その人の本当の気持ちや苦労やしたいことは、
やっぱりその乗り物に ずっと乗ってきた その人にしかわからない。
同じところを探しながら、違うところを お互いに面白がればいいんだね。
それって すごく むずかしいような気もするけれど、実は簡単なことなのかもしれないねえ。
うーん。でも、まあ、ちょっとずつ 練習だな