「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人生は五十一から」(小林信彦)

4月で58歳になった。いままでは「若いやつに負けてたまるかー!」って意気込んでいたけど、いまは、「若いやつには勝てないなー!」って明らかに敗北宣言っ!♪(笑)これが男の更年期なのだろうか!?
 
さて、この本。共感できるわー!(・∀・)
人間五十を過ぎたころから、世の中がよく見えてくる。と同時に肉体も衰えてくる。“肉体の老化”ばかりが取り沙汰される昨今、五十過ぎの人たちの知恵を借りることこそ、生きる知恵というものではないでしょうか。そう、人生は五十一からです。週刊文春」好評連載エッセイ、初の文庫化」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・いやでも、人間は歳をとります。「歳をとるのは当り前だ。こわいことじゃない。こわいのは〈社会に対して機能しない人間、人生に目的を持たない人間〉になってしまうことだ」というロバート・レッドフォードの台詞がありますが、ぼく自身の経験でも、五十を過ぎて、ようやく、世の中や人間関係のからくりが見えてきた時に、肉体の老化があらわになりました。そして、今の日本では〈肉体の老化〉だけがとり上げられて、中年後半からの知恵は問題にもされないのです。
 
こうした傾向は東京オリンピック以降のことであって、それ以前の人は、なにかというと、五十過ぎの人たちの知恵を借りていたものです。それはまた、日本人そのものの生活の知恵でもあったように思えるのですが……
 
・いまだに、ぼくはデパートの食品売り場へ行くと、買い過ぎてしまう。ある日、すべての食品が消え去る恐怖を覚えるからである。こんなことが続くはずがないと思うようになって。三十年以上経ってしまった。
 
・ぼくが六十になろうとするころ、指圧の名手である老人にこう言われた。六十代は五十代と違いますよ。五十代なんて若いものです。六十代に慣れるのには、二、三年かかりますよ」
 
初老性のうつ状態というのだろうか。とにかく、すべてが面倒くさく、どうにでもなれという気分だった体力が衰えていては、気力もない。要するに、無気力。そして大きな喪失感があります。胸の真ん中に。さらに困ったことに、家族や友人と話をするときには〈以前の自分〉に即座に戻れるのである。明らかにおかしい言動にはならない。
 
「生きざま」ー「死にざま」という言葉はあったが、こんな言葉はなかった。恥ずかしい言葉の定番である。「ざま」は〈ざまァ見ろ〉の〈ざま〉。とにかくみっともない言葉である。
 
 
「癒し」ーどなたかが〈癒し〉という言葉は〈卑しい〉とはっきり言った。それが正解。
 
・「自分探し」ーぼくなど、いまだに探しつづけているのだが、これを〈自分探し〉と文字にしたとたんに、うさんくさくなる。宝探し〉みたいに見える。こういう言葉を口にしたり、活字にしたりする神経がいやで、おまえには〈自分〉なんてご大層
なものなないのだ、と言ってやりたくなる。
 
少子化」ーせめて〈産児減少〉とでもいえばいいのに。これだと、まるで自然体系として子供が産まれなくなったように見える。言葉の逃げ、すりかえ、といった初歩のマジックです。
 
伊東四朗「笑いってのは、時代によって受け取り方が変化すると思うのだけど、志ん生さんのおかしさは今でも新鮮なんだなあ。志ん生さんとビートルズは変わらないんだよな」
 
「先日放送しましたビートルズ『ヘイ・ジュード』の意味をおたずねの方がいらっしゃいます。これにお答えしますと、このジュードと申しますのは名前でございますね。日本ですと、中村とかそういうもにだそうです。ですから『おーい、中村君』といってよいかどうかわかりませんが、そういったものだと思います。(おいおい)
 
水谷加奈文化放送の人気アナ)
「今日はジャニーズ特集です……フォーリーブスの前に、西郷輝彦がいましたよね。あ、違う、西郷隆盛。うーん……あ、あおい輝彦だあ!」
 
 
「〈ストリップ〉と〈鑑賞〉のあいだ」「バーリンか、ベルリンか」「みっともない語辞典」「現代恥語ノート」「ロマンスカーの哀愁」「天才・黒澤明の皮肉な運命」「黒澤映画の大きな影響」「おかしな人たち」「現代〈恥語〉ノート(遺憾に思う、事件に巻き込まれた疑い、チンする、◯◯に優しい)」「人生の秋とリストラ」「東京言葉と志ん朝独演会(とどのつまり)」など。

 

いや〜オモシロイわー!お笑いの造形が深いので余計に響く。黒澤明の映画をちゃんと観たくなりましたー!オススメです。(・∀・)