「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「紙屋ふじさき記念館 春霞の小箱」(ほしおさなえ)

ほぼ、全作品を読破している、ほしおさなえさん。まだかな、まだかな〜!とこのシリーズの最新巻を待ち望んでましたー!!!あまりに表現がリアルすぎて自分のカラダが川越と小川町に飛んでいったようだ!(・∀・)
 

「紙の持つ手触りにほっとする。活版印刷日月堂の著者による絆の物語。紙屋ふじさき記念館の閉館まであと半年と少し。「紙」がつなぐ優しい絆の物語、急展開の第5巻」そのエッセンスを紹介しよう。


・「考えたら、紙自体も植物でできてるんだよなあ。染料もむかしは植物から採っていたみたいだし、わたしたちはこうやって、生き物の身体を使うことで生活を豊かにしてきたんだ。食べるだけじゃない、布だって植物や蚕の出す糸で作った。いまは自分の手をよごさないだけ。紙だって木の皮を剥いで作っているんだから。いまは化学繊維もあるけど、食べ物はなんだってもともとは生きものだし、わたしたちは、ほかの生きものの命を食べ、命をまとって生きているんだなと思う」
 
紙はむかしから強い力を宿すものだった。父の小説の一節を思い出す。紙の力。人々は紙にこめたもの。絢爛豪華に飾られた紙に歌を書く。幾人もの人の手を使い、何年もかけて、世界を、時間を、心を紙に封じ込めようとする強い思い。なにを求めて、ここまでうつくしいものを作ったのだろう。あらためて、その力の強さをおそろしいと感じた。
 
・「紙自体は真っ白で、ただの平面でしょう?染めたり装飾したりすれば別だけど、素の状態では質感しかない。でもそれがいいんだ、って。文字を書く紙、ものを包む紙、障子や建具に使う紙。液体を濾すための紙なんていうのもあって、使ったら捨てられてしまうものだけど、それでも美しいんだ、って言ってた」質感しかない。でもそれがいい。なぜかよくわかる気がした。「ものづくりをしている人の姿。ものに宿った手の跡に心惹かれる。人が生きた跡というのが、もうそれだけで胸が苦しくなるほど愛おしく思える。そんなことも言ってたなあ」
 
・「うん。建物だけじゃなくて、このにぎわい方がね。生きてる町って感じがする。やっぱり、町っていうのは建物だけじゃダメで、生きた人がいないと
 
・八百屋に肉屋、魚屋。あちらこちらからものを売る声がして、食べ物の匂いが漂ってくる。夕餉の買い物も、わたしたちはみな生き物で、生きているものを食べないと生きていけないのだと思い出させてくれる。そんな罪深い生き物でも、だれかと囲む食卓はやさしく、あたたかい。それをよすがに生きていくしかない。自分たちがそういう生き物であることが、斜めからの日差しで浮き上がってくる。だから、夕暮れの商店街はさびしい。いきるために必要な、さびしい光が満ちている
 
父は亡くなったけれど、父の言葉はまだ生きている弓子さんの話を思い出しながらそう感じた。藤崎さん、薫子さん、綿貫さん、浜本さん。いま生きている人たちが、父の言葉を大事にしてくれている。もう一度人に届けようとしてくれている。そしてわたしも、そのおかげでいろいろな人とつながっていっている。ありがたいことだ。ほんとうに稀有な幸運だ。
 
・そもそも手が機械と異る点は、それがいつも直接に心とつながれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起させる所以だと思います。手はただ動くだけではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。
 
・「むしろ人の手じゃないとできないのよ。洋紙の繊維にくらべて、楮の繊維はすごく長いの。だから機械では詰まってしまうし、機械だと決まった方向に揺らすことしかできないから、和紙のような繊維の絡みを作ることができない」和紙は繊細な人の手が生み出してきたものなんですね」弓子さんがつうやく。人の手が生み出したもの……。こうやって楮を蒸して、こうやって人の手で剥いて……。
 
・「歌うって、素敵ですよね。わたし自身は、もう何年も歌っていない気がしますけど、子どものころ、歌っていると心が遠くに広がっていくような気がしていました」弓子さんが言った。「そうなの。心……なのかなあ?それがどんどん広がって、世界と混ざりあってくみたいな……。自分を囲んでる膜がなくなって、世界になる感じ?自分っていうものはなくなっていくような……」わからないわけじゃない。自分がなくなっていく感じ。世界に溶け込んでいく感じ。さっき楮の皮を剥がしていたとき、似たようなことを感じた気がする。
 
・「歌ってるときって、なんだろう、意識が自分の外に流れていって、いろんなことを感じるのよね。その歌が作られたときのこと、歌い継がれてきたあいだのこと。歌は、それまでその歌を歌ってきたすべての人の心をのせてる。だから豊かで、聞く人の心を揺さぶるんだと思う。日本の童謡を歌ったとき、その感覚が自分の子ども時代の思い出に結びついて、自分のすぐ近くまで迫ってきたのよね。身近で、なつかしくて……若いころはそういう心地よさに取り込まれてしまうのがいやで、遠くに行こう、ってあらがってたんだけど。いまはその気持の正体とちゃんと向き合わないといけない、って思ってる。なつかしいものは心地よい。でも、怖い気もする。自分が溶けて消えてしまうような気がするから。なんだろう、長いこと生きてきて、ようやく『自分』ってものにこだわらなくてもいい、と思えるようになったのかな。自分は自分だけでできてるんじゃない自分を形作っているものがなんなのか、見極めてみたい気がしてきたのかも」
 
・「歌っているとき、自分がいまここに立ってる、ってことを自覚するようになった気がする。自分が歌うことでその歌を未来につなげているんだ、って」歌う身体、作る身体。身体を使うとき、心は自分を超えてはるか遠いところまで広がっていく。それはきっと、わたしたちの身体のなかに、自分では把握しきれないほどのたくさんのものが詰まっているから。さっきわたしたちが干した楮の皮を見ながら、いつかあれが紙になって、遠いところに行くんだ、と思った。
 
 
「ぴっかり千両」「西本願寺本三十六人家集」「墨流し」「柳宗悦民藝運動」「染色家芹沢 銈介」「かわごえのパルテノン神殿」「風船爆弾」など。

 

最新刊だけあって、新型コロナのことが登場するなんて実にタイムリー。次の展開はどうなるんだろう!?このシリーズ、ハマります。超オススメです。(・∀・)♪