「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「オートメーション・バカ 先端技術がわたしたちにしていること」(ニコラス・G・カー)

はじめて車を買ったのが1987年、23歳のときだった。フォードのフェスティバ。当時は画期的だった、日本初!の電動キャンバストップが欲しくてね〜!もちろんオートマじゃなくてマニュアル車。カワイイヤツでね〜!もう車のない生活が長いけど、なんだかんだいって今の横浜に住むまで乗ってたのかなあ〜!その車の思い出については、これを読んでね。↓ (・∀・)

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そーそー。当時は、オートマ車が出始めた頃。ワタシが頑なにこだわったのはマニュアル車。当時の建設資材の会社で乗っていたダットサンが、コラムシフト(この単語ももう死語!?)だったということもあって。車といえばマニュアル車!もう二十年以上乗ってないけど「車を運転している感」が好きなんだよね〜!♪ 
 
さてこの本。「わたしたちの生活はさまざまなところで自動化の恩恵を受けている。医療、株取引、建築設計、自動車、ロボット――これらはもはや高度なオートメーション技術の助けがないと実現できないことばかりだ。しかし、実は、何より恐ろしいのは、こうした「自動化」のなかにいるわたしたちがその甚大なる影響について、いまだきちんと認識していないことではないだろうか」そのエッセンスを紹介しよう。 

・コンピュータ制御によるオートメーションは、われわれの生活を楽にし、日常のこまごまとした仕事の負担を少なくしている。より少ない時間でより多くのことを成し遂げられることも多いーまたは、以前にはできなかったことをできることさえある。だが、オートメーションは必ず、隠された深い影響を与えるものだ。オートメーションは、われわれの仕事を、能力を、生活を損なうこともありうる。視野を狭め、選択肢を限定することもある。われわれを冠しと操作の対象にすることもある。
 
オートマ車が欲しくてたまらなかった。手に入れたとき、わたしは生まれ変わった。クラッチから開放された左足は、レジャーに付随するものとなった。しかし、長続きしなかった。やることが少なくなったという喜びは確かにあったが、薄れていったのだ。新たな感情が入り込んできたー「退屈」である。シフトレバーとクラッチペダルが懐かしく、コントロールと関与の感覚が恋しかった。
 
人は余暇のときよりも労働中のほうが、自分のしていることにより満足し、より幸福な気持ちでいたのである。
 
・ポイントは、オートメーションは悪いものだということではない。賢く使えば、われわれを骨の折れる労働から解放し、もっとやりがいと充足感のある試みへと駆り立ててくれる。問題は、オートメーションについて合理的に考えたり、その意味を理解したりするのが難しいということだ。「もういい」とか「ちょっと待って」とか言うタイミングがいつであるかがわれわれにはわからない。

 

やっぱり便利になればなるほど、その副作用があるよね。やっぱりMP3やカラオケのデジタルの音声よりも、アナログレコードとカセットテープがいいよね〜。これ以上、バカにならないように。オススメです。(・∀・)