「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え2」(岸見一郎)

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幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

このブログで何度か紹介しているアドラー心理学の本。大ベストセラーとして空前のアドラーブームを巻き起こした『嫌われる勇気』の完結編!がコレ。哲人と青年の対話がリアルというか、ぶっちゃけというか、罵詈雑言というか、なかなか読ませるのだっ!(・∀・)

 

「教育論に始まり、仕事論、組織論、社会論、人生論へと及び、最後には「真の自立」と「愛」というテーマが浮かび上がる。そして、最後に哲人が説くのは、誰もが幸せに生きるために為すべき「人生最大の選択」についてだった。 果たしてその選択とは? あなたの人生を一変させる劇薬の哲学問答、再び!」そのエッセンスを紹介しよう。


「他人の関心事」に関心を寄せるのです。たとえば子どもたちが、あなたには到底理解しかねる遊びに興じている。いかにも子ども向けの、愚昧な玩具に夢中になっている。ときには公序良俗に反するような書物を読み、ゲームに耽溺している……思い当たる事例はありますね?それに関心を寄せるのです。まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。自分もやってみて、場合によっては共に遊ぶ。「遊んであげる」のではなく、自分自身がそれを楽しむ。そのときはじめて、子どもたちは自分たちが認められていること、子供扱いされていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感するでしょう。



・われわれの世界には、ほんとうの意味での「過去」など存在しません。十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。過去とは、取り戻すことのできないものではなく、純粋に「存在していない」のです。


問題行動の目的の5段階

1 称賛の要求 2 注目換起 3 権力争い 4 復讐 5 無能の照明

自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものだのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあればそれを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは「自分の人生は、自分で選ぶことができる」という事実を学んでくれるでしょう。

 

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それが本当の個性というものです。

・あなたがアドラー的な教育に失敗し、さらにはいまだに幸せを実感していない理由は。簡単です。仕事、交友、愛の3つからなる「人生のタスク」を回避しているからです。

「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されているのです。「われわれは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」のです。



「信用」とは相手のことを条件付きで信じること。「信頼」は他社を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。仕事の関係とは「信用」の関係であり、交友の関係とは「信頼」の関係なのです。



アドラーにとって、働くことの意味はシンプルでした。仕事とは、地球という厳しい自然環境を生き抜いていくための生産手段である。つまり仕事をかなり「生存」に直結した課題だと考えていました。われわれ人間は、ただ群れをつくったのではない。人間はここで「分業」という画期的な働き方を手に入れたのだ。分業とは、人類がその身体的劣等生を保障するために獲得した、類い稀なる生存手段なのだ。アドラーの最終的な結論です。


・ここで大切なのは、アドラー労働それ自体を「善」と規定していないことです。同等的な善悪にかかわらず、われわれは働かざるをえないし、分業せざるをえない。他者と関係を築かざるをえない。分業という観点に立って考えるなら、職業に貴賤はない。一国の宰相、企業の経営者、農夫、工場労働者、あるいはそれを職業と見なされることの少ない専業主婦に至るまで、すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならない」ことであり、われわれはそれを分担しているだけなのです。そこの優劣はないのです。


・分業すれば、マンモスだって倒せるし、農耕することも、住居を建てることもできる。そして分業とは好悪を超えて「他者を信用すること」からはじまる。われわれは分業しないと生きていけない。他者と協力しないと生きていけない。それは「他者を信用しないと生きていけない」ということでもある。それが分業の関係であり「仕事」の関係である。


「与えよ、さらば与えられん」


アドラー「運命の人」はいっさい認めません。結婚とは「対象」を選ぶことではありません。自らの生き方を選ぶことです。われわれはいかなる人をも愛することができるのです。「誰かを愛するということはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」踊るのです。わかりもしない将来のことなど考えず、存在するはずもない運命のことなど考えず、ただひたすら、目の前のパートナーと「いま」をダンスするのです。「愛と結婚は「二人で踊るダンス」である」。そばにいる人の手を取り、いまの自分にできる精一杯のダンスを踊ってみる。運命はそこから始まるのです。



「愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかにしか愛することができない」愛する勇気、すなわちそれは「幸せになる勇気」です。われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどり着くのです。


・われわれにできることはひとつ。すべての出会いとすべての耐人間関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。


・未来が見えないこと、それは未来に無限の可能性があるということです。われわれは未来が見えないからこそ、運命の主人になれるのです。

 

いいねえ。「ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける」は、ワタシの人生のテーマでもあります。オススメです。

 

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幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

第一弾のこの本と併せて読んでね。(・∀・)♪

 

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え