一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「仏教とっておきの話366 秋の巻」(ひろさちや)

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仏教とっておきの話366 秋の巻 (新潮文庫)

仏教とっておきの話366 秋の巻 (新潮文庫)

  • 作者:ひろ さちや
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 文庫
 

 

 

 さあ、すっかり秋の気配が出てまいりました!秋です、仏教です。(笑)

「今日は何の日?」に仏教の教えで答えます。10/1~12/31、なるほどなっとく日めくりエッセイ。そのエッセンスを紹介しよう。

 
仙厓義梵(せんがいぎぼん)は江戸後期の禅僧。あるときなにか芽出たいことばを書いてくれと頼まれた。そしていきなり「祖父父死子死孫死」の八字を書いて与えた。依頼人は顔をしかめる。「死」が四度も繰り返されていては腹が立つ。「いくらなんでも、これはひどすぎます」しかし、仙厓はこう言った。「いや、これが芽出たいのじゃ。いいか、まず爺さんが死んで、それから父が死ぬ。そして、子どもが死んで、そのあとで孫が死ぬ。この順番で人が死ねるほと幸福なことはない。この順番がちょっと狂ってみなされ。親より先に子どもが死んだら、親はどれだけ悲しまねばならぬか……そこのところをよく考えてみなされ」なるほど。そのとおりだ。
 
・ある檀家の新築祝いに仙厓が招かれ、お祝いの揮毫を頼む。そして「ぐるりっと家を取り巻く貧乏神」と書く。主人は渋い顔。しかし、仙厓はにこにこしながら下の句をつづけた。七福神は外へ出られず」たしかに、これなら芽出たり文句だ。主人が喜んだのは言うまでもない。
 
曾我量深(そがりょうじん)阿弥陀仏信仰に徹した近代の仏教学者であった。「言葉のいらぬ世界が仏の世界。言葉の必要なのが人間界。言葉の通用しないのが地獄」その仏の世界と地獄の中間にあるのが、われわれ人間の世界である。だから、われわれには言葉が必要なのだ。われわれの住むこの世界を地獄にしないために、赦し合うための言葉、喜びをわかち合うための言葉である。仏教の用語でいえば「愛語」である。「愛語」によって、われわれは人間になれるのだ。
 
仏教は貯蓄といったことに反対である。人間は財を所有することによって、ますます欲望が増大する。そこで釈迦は、財の所有を戒められたのである。毎日の食事も出家者は托鉢によって得ていた。托鉢は乞食(こつじき)ともいう。その托鉢も午前中に行い、午前中に食べねばならなかった。托鉢によって余分の食事を得たから、これを翌日に食べようということはできない。つまり「貯える」といったことがいっさい許されなかったのだ。
 
死は布施である。なぜなら、もしも過去の人間は死なずに生きているとしたら、地球上は人間だらけになって、新しい生命は誕生できない。だから、われわれが死ぬことによって、新しい人間が誕生できるのだ。その意味で、「死は布施である」と、わたしは断言したいのである。
 
・「先生、インドの牛は、どうしてあんなに痩せているのですか?食べる草はいっぱいあるのに……」「あのね、牛は痩せているのがあたりまえなんです。日本の牛は、食肉用に品種改良して太らせたものです。日本の牛が異常で、インドの牛のほうが当たり前なんですよ」「先生、見てよ。子どもたち、かわいそうに裸足だわ」子どもというものは、裸足でのびのび遊んでいるものだ。そんな子どもの姿こそ本当である。日本の子どものほうがどこかおかしい。上等の靴を履き、重い鞄を下げて塾に通っている。そんな日本の子どもたちのほうが異常である。まるで子どもの品種改良である。
 
・浄土経典の阿弥陀経「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とある。これが教育の基本である。すなわち、青い子は青く、黄色の子は黄色に、赤い子は赤く、白い子は白く光らせるのが教育なのである。臆病な子もいる。怠け者の子もいる。乱暴な子もいれば、優等生もいる。その臆病なことが臆病なままで、怠け者が怠け者のままで、乱暴な子が乱暴なままで、優等生が優等生のままで、幸福になれるように援助してあげるのが本当の子育てであり、教育ではないか。子育て、教育は「人間改造」ではない。臆病な個を勇敢な子に改造することが教育ではないのだ。
 
・われわれは、オオカミはシカの敵だと聞かされてきた。だが、実際は違うのだ。オオカミがいてくれるおかげで、シカは餓死しないでいられるのだ。もちろん、シカのおかげでオオカミは生きられる。オオカミとシカは、お互いに支え合って生きている。仏教的には、そのようなあり方を ーご縁の世界ー という。この世界にあって、すべての生き物は互いに他を支え合って生きている。仏教者は世界をそのように見るべきだ。だとすれば、シカはオオカミに自分のいのちを布施しているのである。オオカミがシカを殺すのではなく、シカのほうから布施をしているのだ。そう見るべきである。
 
法然のことば。「さけのむは、つみにて候か。答。ま事はのむへくもなけれども、この世のならひ」(を飲むのは罪になりますか?答、本当は飲んではならないけれども、この世のならいですから……)
 
家康は毎日、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と六字の名号を美濃紙に書き詰めるのを日課にしていた一種の写経であり、念仏行である。家康の書いた美濃紙が、現在も東京国立博物館に保存されている。
 
その他、「袈裟に供養する」「あっさりとした生き方(至道無難)」「病気を楽しんで生きる」(『人と精』の糸毬の話)「笑えぬ猩々(しょうじょう)の愚かさ」「地獄の沙汰も金次第(六文)」「わたしを抱くがよい(慧春尼(えしゅんに))」「まずくて高い店がよい」「小鳥の消火活動」「デタラメの決断(ビュリダンのロバ)」「恩讐の彼方に」など。
 
仏教は深い……なあ……。オススメです。(・∀・)!

 

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仏教とっておきの話366 秋の巻 (新潮文庫)

仏教とっておきの話366 秋の巻 (新潮文庫)

  • 作者:ひろ さちや
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 文庫