長谷邦夫といえば、ワタシ以上のマンガファンはご存知だろう。フジオ・プロの赤塚不二夫の懐刀として、赤塚そっくりの絵を描いてマンガの連載をしていた。ワタシの記憶では、小学館の学習雑誌などでギャグマンガを描いていたっけ。
さてこの本。「戦後マンガ史の舞台裏を支えた名編集者たち。彼らの型破りな「マンガ愛」を、稀代のパロディストにして赤塚不二夫の盟友が縦横無尽に描く、痛快無比・純情可憐・妄言多謝の書き下ろし巨編」そのエッセンスを紹介しよう。
漫画は子供の心を明るくする。
漫画は子供の心を楽しくする。
だから子供はなにより、漫画が好きだ。
だから「漫画少年」は子供の心を明るく楽しくする。
「漫画少年」には子供の心を、清く、正しく育てる、 小説と読み物がある。
日本の子供たちよ、「漫画少年」を読んで、 清く明るく正しく伸びよ。
・加藤は、 講談社時代に長く執筆活動を続けてくれていたマンガ家や小説家、 絵物語作家たちに手紙を書いた。 雑誌創刊の主旨と原稿の依頼である。 それを子供たちが手分けして届けに言った。 十九歳になる長女の美紗子は、 マンガ家の長谷川町子のもとを訪れた。「 多忙な父に代わりまして、お願いに参りました」 町子は差し出された手紙を読みつつ、「あら!」と驚いた。「 あなたが編集部員なのね。そして御一家で本を発行されるなんて… …馴れずに大変でしょうけれど、楽しそうね、 わたしもやってみたいな」そう励ました。「わたしね、 海を見ていて、そこに住むお魚や貝なんかの名前を付けた、 家族のマンガを描いてみたいなあ、って思っていたのよ」「 おもしろそうですね」
・『ジャングル大帝』の評判は、 中央の児童月刊誌の編集部えもまたたく間に浸透していった。 手塚は連載マンガの本数が急激に増え、一躍人気マンガ家として、 その地位を不動のものとしてしまう。 加藤は手塚を独占していたかった。 それはもはや到底かなわぬことだたとわかってもいた。 それが無理なら、せめて手塚のマンガ創作作法を、 次代の子供たちに教えることはできないか……。 かつて教育雑誌の刊行を夢見ていた彼は、手塚に、 マンガでマンガ入門のようなものを描いてもらうのはどうか、 と考えた。この企画は連載として実現した。 まず読者からハガキで投稿された4コマ作品が、 手塚によって選考される。手塚はそれらの入選作を、 自分で描いたハウツーマンガの中に転載していく、 というユニークなものになった。 のちにプロマンガ家として活躍する藤子不二雄、寺田ヒロオ、 永田竹丸、石ノ森章太郎、松本零士、赤塚不二夫たち、。 アーティストとして異色作を描きつづける黒田征太郎、横尾忠則、 あるいはカメラマンになった篠山紀信……。
「風たちの断層 長井勝一の巻」白土三平のデビュー作『こがらし剣士』『ガロ』『 COM』の創刊」「かんにんしてやゴメンやで 松坂邦義の巻(川崎伸(のぼる)」「恋人たち 丸山昭の巻」「酔わせてみせろよウソ虫 壁村耐三の巻」「1000ページの「没」と四ページの「長篇」 ー峯島正行の巻」「トムとジェリーの青春 内田勝・宮原照夫の巻」「真夏への跳躍ー長野規の巻」「 遠ざかる九龍へー長崎尚志の巻」など。
昭和ならではのドラマだよえ。日本のマンガの原点がここに。マンガファン必読っ!オススメです。(・∀・)