「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「マンガ編集者狂笑録」(長谷邦夫)

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長谷邦夫といえば、ワタシ以上のマンガファンはご存知だろう。フジオ・プロの赤塚不二夫の懐刀として、赤塚そっくりの絵を描いてマンガの連載をしていた。ワタシの記憶では、小学館の学習雑誌などでギャグマンガを描いていたっけ。
 
さてこの本。「戦後マンガ史の舞台裏を支えた名編集者たち。彼らの型破りな「マンガ愛」を、稀代のパロディストにして赤塚不二夫の盟友が縦横無尽に描く、痛快無比・純情可憐・妄言多謝の書き下ろし巨編」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
天皇に捧げるマンガ 加藤謙一の巻」
 
 
漫画は子供の心を明るくする。
漫画は子供の心を楽しくする。
だから子供はなにより、漫画が好きだ。
だから「漫画少年」は子供の心を明るく楽しくする。
漫画少年」には子供の心を、清く、正しく育てる、小説と読み物がある。
日本の子供たちよ、「漫画少年」を読んで、清く明るく正しく伸びよ。
 
 
・加藤は、講談社時代に長く執筆活動を続けてくれていたマンガ家や小説家、絵物語作家たちに手紙を書いた。雑誌創刊の主旨と原稿の依頼である。それを子供たちが手分けして届けに言った。十九歳になる長女の美紗子は、マンガ家の長谷川町子のもとを訪れた。多忙な父に代わりまして、お願いに参りました」町子は差し出された手紙を読みつつ、「あら!」と驚いた。「あなたが編集部員なのね。そして御一家で本を発行されるなんて……馴れずに大変でしょうけれど、楽しそうね、わたしもやってみたいな」そう励ました。「わたしね、海を見ていて、そこに住むお魚や貝なんかの名前を付けた、家族のマンガを描いてみたいなあ、って思っていたのよ」おもしろそうですね」
 
・(ディズニーの『バンビ』を)「ぼく(手塚治虫)はね、この作品を百回は観たいと思っているんだ」「百回!」「そう。『白雪姫』はもっと観ているからね」
 
ジャングル大帝の評判は、中央の児童月刊誌の編集部えもまたたく間に浸透していった。手塚は連載マンガの本数が急激に増え、一躍人気マンガ家として、その地位を不動のものとしてしまう。加藤は手塚を独占していたかった。それはもはや到底かなわぬことだたとわかってもいたそれが無理なら、せめて手塚のマンガ創作作法を、次代の子供たちに教えることはできないか……。かつて教育雑誌の刊行を夢見ていた彼は、手塚に、マンガでマンガ入門のようなものを描いてもらうのはどうかと考えた。この企画は連載として実現した。まず読者からハガキで投稿された4コマ作品が、手塚によって選考される。手塚はそれらの入選作を、自分で描いたハウツーマンガの中に転載していく、というユニークなものになった。のちにプロマンガ家として活躍する藤子不二雄寺田ヒロオ永田竹丸石ノ森章太郎松本零士赤塚不二夫たち、。アーティストとして異色作を描きつづける黒田征太郎横尾忠則あるいはカメラマンになった篠山紀信……。
 
 
「風たちの断層 長井勝一の巻」白土三平のデビュー作『こがらし剣士』『ガロ』『COM』の創刊」「かんにんしてやゴメンやで 松坂邦義の巻(川崎伸(のぼる)」「恋人たち 丸山昭の巻」「酔わせてみせろよウソ虫 壁村耐三の巻」「1000ページの「没」と四ページの「長篇」峯島正行の巻」「トムとジェリーの青春 内田勝宮原照夫の巻」「真夏への跳躍ー長野規の巻」「遠ざかる九龍へー長崎尚志の巻」など。

 

昭和ならではのドラマだよえ。日本のマンガの原点がここに。マンガファン必読っ!オススメです。(・∀・)