子供の頃、マンガを描いていた。休み時間に描いて、同級生に見せて面白がってくれるのが大好きだった。その時、意識したのが「赤塚不二夫」。けっこう好きだったのが「はくち小五郎」そして最高傑作の「レッツラゴン」!好きだったなあ〜!
『おそ松くん』『天才バカボン』『レッツラゴン』…生涯じつに8万枚の漫画を執筆した天才漫画家・赤塚不二夫に、35年間連れ添った小学館の編集者がいる。“武居記者”というキャラクターで赤塚漫画にも登場する本人が、天才との濃厚すぎる日々を語る。ニャロメのモデル、『天才バカボン』引き抜き事件、新婚そうそう5日間泊り込み、ヤクザに追われてふぐ三昧、崇拝する美空ひばりと新宿デートなど、はちゃめちゃで抱腹絶倒の秘話満載!」そのエッセンスを紹介しよう。
・ヘミングウェイの『老人と海』で、老人は、大魚と戦った。 赤塚は、漫画と何十年も戦い続けた。 たくさんの漫画家を担当した。新人からベテランまで、 その数は200人にものぼる。それぞれの漫画家に、 色々な思い出がある。しかし、その中で、僕にとって、一人だけ特別な漫画家がいる。赤塚不二夫だ。 赤塚に初めて出会ったあの日に、思いを馳せる。そう、すべては、 あの日に始まったー。
・「古谷さんて、おかしいんだよ。中学卒業してね。 利根川の川原で空見てたんだって。そしたらね、 同級生がカバン下げて歩いているのが見えたの。 学校卒業したのに何でって。不思議に思ったんだって。この人ね。 日本に高校があること、知らなかったの、ね、古谷さん。 中卒はね、脳卒中でなく、脳中卒で死ぬの」
・「昭和30年8月10日にね、石森章太郎と長谷の3人で、 雑司が谷の手塚先生のお宅を訪ねたの。暑い日だったよね。 オレ達の神様だった手塚治虫先生が目の前にいる。 先生の前で3人は緊張して、 流れる汗を拭くことも出来なかったな。そう。その時、 手塚先生が言ったんだ。『良い本を読みなさい。 良い音楽を聞きなさい。そして、良い映画を見なさい』ってね。 オレ達は、それを実行したの。オレの漫画、 映画の影響凄く受けてんだよ」
・部屋には、7つの机が置いてある。窓際に赤塚の机その前に、 二列に6つの机が配置。作画スタッフは、チーフに高井研一郎、 その他に、横山孝雄、北見けんいち、土田よしこ、 アイデアスタッフである長谷邦夫と古谷三敏も加わる。今思うと、 凄いスタッフだと思う。
・13ページの漫画でアイデアは3時間、ネーム2時間、当たり4時間、赤塚の手を離れて、原稿が完成するまで4時間、計13時間が、1本が上がるまでの平均的な所要時間だ。だから、赤塚は、一日1本ずつ漫画を描き上げ、夜は宴会が出来る計算になる。あくまでも机上の計算だが。
・「他人の世話になるな。これが親爺の教えだったんだよ。 だから、編集者にも、その他の奴らにも、おごられるのは嫌なの。 小さなことで借りをつくりたくないしね。だから、今後一切、 オレと飲む時は、金のことは考えなくていいからね」
・「先生、ひばり好きなんだ」「好きなんてもんじゃないよ。 嫌いってほど好きだよ。オレ、ひばりを妹にしたいの。 スケにしたいんじゃなくて、妹だよ。これが本当の愛なんだよ。」
・寺田ヒロオ「漫画をやめようと思ってるのか?スランプか? でも、君はまだ、スランプになるほど漫画描いてないだろ。 才能の噴出口を見つけるんだよ。漫画をほとんど描かずに、今、 やめちゃったら、後悔することになるよ。苦しくても、 もう一回漫画にしがみついてみろよ」財布を取り出して「 金がないと、よけい落ち込むよ。今月の部屋代ないんだろ」と、 部屋代よりずっと多い額を、オレの手に握らせてくれた。「 君は酒弱いけど、それ一気に飲んで、今日は寝ちまいな。明日は、 きっと天気だよ」寺さんがいなければ、オレはあの時、 漫画をやめてたと思う。
・赤塚は、「赤塚不二夫」というペンネームは、 自分一人のものではない、と思っている。符号だと思っている。 自分は、その代表者だと思っている。だから、後にやることだが、 「赤塚不二夫」というペンネームを、「山田一郎」 と変えても平気なのだ。
・赤塚は、門下生を次々に世に送り出し、成功させていく。 手塚のアシスタントから大成した漫画家は、ほとんどいなかった。 二人の巨匠は、この点でも対照的だ。
偉大だ、赤塚不二夫は。天才だ。「レッツラゴン」また、読みたいっ!!!オススメです。(・∀・)