「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「霊長類ヒト科動物図鑑」(向田邦子)

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全作品読破が目標の向田邦子さん。この本もいい。いいなあ、どの作品もグサッとくる。なんでいままで読まなかったんだろう!?(・∀・)
 
「何気ない日常の一コマを鮮やかに捉えた、向田邦子ならではの名人芸が堪能できる珠玉のエッセイ集」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
一日、というのは、白い四角い箱のようなものだと思っているふしがある。どうやらこれは、日付けの下が四角いメモになったカレンダーを使っているせいであろう。お昼近くになると、四角い白い箱の上三分の一に、黒い幕が下りてくる。夕方になると、黒いカーテンは三分の二ほどに下りてきて「あ、大変だ」とあわててしまう。黒いカーテンは、夜中の十二時になると白い四角い箱をおおい尽し、箱は黒くなってその日は終るのである。子供の時分、台所や茶の間の柱にかかっていた日めくりのせいかも知れない。更に言えば、ひと月というのは、豆腐を何丁も積み上げたものだという気もしている。いつどこで見たのかはっきりしないのだが、幼い時分に間違いない。
 
・若気の至りで色がないと思っていたが、豆腐には色がある。形も味も匂いもあるのである。崩れそうで崩れない、やわらかな矜持がある。味噌にも醤油にも、油にも馴染む器量の大きさがあったのである。さて、年のはじめである。手のつかぬ豆腐、ではなかった一日一日が、カレンダーのなかに眠っている。その一日にどんな味をつけてゆくのか。
 
新聞というのは、一紙だけしか取っていないほうが丁寧に読むものである
朝日なら朝日。毎日なら毎日。決めたら浮気をしないで通すほうがいい。男も、いや人と新聞は同じで、どれをとってもそんなに変わらないのではないか。数だけ多く、読み散らしていると、不純異性交遊をしているようで気がひける。
 
引き算で嫌いなのは、「隣かから借りてくる」あの言い方やり方である人間が小さいせいか私は借金が出来ないタチである。あたしなら借りないな」安産の読み上げ算の最中に頭のなかにチラリとそんなことを考えたりする。
 
零コンマ、という数字も好きになれなかった。どうも頭の中で、数字と温度をごちゃまぜにしてしまったらしい。0というと、私のイメージのなかで、薄く氷の張った水面が出てくる。0.1というと、張った氷のすぐ下である。0.3は、30センチほど下である。なんだか息が苦しくなってくる。0.5は、更にその20センチほど下である。もう助からないな、と思うと息がますます苦しい。零コンマというのが出てくると、氷の張った湖の底へ沈んでゆくような気がして、気が滅入ってしまい、溜息をついたりして、どうにも頭がまとまらなかった。
 
「人を斬るときは、こいつにも母親や女房子供が要いると思って斬れ」といったのは沢正こと沢田正二郎である。斬るときの刀の重みと心の重みも違ったものなる。それでも斬らないと、こっちが斬られるから、斬るのである。
 
会社訪問の面接は、男にとって人生のお見合いなのであろうこれから一生、吸いついて泳いでいく鮫を選んでいるのである。大きくて気働きがあって、運が強くて気前のいい鮫を選んでいるのだ。うちの父の一生も小判イタダキとして生きた人である。小判イタダキの子である私も、二十代の九年間は小判イタダキだった。いまは一匹でどうにか泳いでいる。久しぶりで、昔の、入社試験を受けた頃のことを、あの不安と期待の一瞬を思い出してテレビをみていた。
 
Aが見たくて出かけていったに、どういうわけかBを見て帰ってくる、ということが多い。
 
・鍋やライターや電話ボックスが透明になってきた。この頃はエレベーターまで透明になって来ている。だが、ポストだけは透明にならないほうがいい。透明なポストの中に、だんだんと郵便物がたまってゆく。白魚のはらわたのように中身が透いて見える。通る人は、気になって仕方がないと思う。ポストは、さまざまな人生がつまっている。運命や喜怒哀楽や決断や後悔が、四角い薄い形になってつまっている。雑駁(ざっぱく)な街のなかで、あそこまでにはまだ夢が残っているような気がしている。
 
安全ピンはやっぱりピンなのだ。安全カミソリはカミソリなのだ。の気になれば自殺だって人殺しだって出来る凶器なのだ。安全、という字は、どこかうさん臭い。安全保障条約を結んでも、絶対安全ではないのだ。安全地帯に立っているように、玩具の兎のように跳ねとばされるか判らないのである。
 
新しいことばは、頭のなかでだけ使っても、日常のなかでは口に出さない人間と、勇猛果敢に使ってみる人間と、人は二通りに分けられるように思った。
 
この頃の子供は泣かなくなった。私の子供の頃、子供はよく泣いていた。手足がかじかんで寒いとっては泣き、お八つが少ないといっては泣いていた。此の頃は、泣くほど寒くない。お八つも冷蔵庫をあければ、くさるほど入っている。子供だけではない。大人も泣かなくなった。昔みたいに槽式に、おいおい声を立てて泣く人は少なくなった。年寄りと同居しないこと。家で死ぬより病院で死ぬことが多いせいだろうか。DDTは蚊やハエと一緒に、日本の泣き虫も殺したのだ。
 
ネズミを獲る猫をネコといい、蛇を獲ってくるのをヘコ、とんぼをつかまえるのがうまいのをトコと書いたのを読んだことがある。
 
素朴な疑問だが、神様はなぜ人間にこんなにも複雑な皮膚の色を与え給うたのだろうか。ケニアで縞馬の大群を何度も見かけたが、いずれも白と黒の縞馬で、いくら双眼鏡をのぞき込んでも、白い縞馬や黒い縞馬は、ただの一頭もいなかった。
 
歳月は、思い出のなかに、記憶をパッチワークみたいにはめこんでしまうのである。
 
文明は油であり脂であるらしい。脂汗を流して働き、働いて得たお金で脂を得、体に取り込んで寿命を縮めている。
 
 
「豆腐」「寸劇」「助け合い運動(老眼鏡と懐中電灯)」「傷だらけの茄子(台風のあと)」「浮気」「無敵艦隊」「女地図」「新聞紙」「丁半」「マリリン・モンロー」「斬る」「知った顔」「小判イタダキ」「写すひと(哀れなタイの動物園と写真)」「合唱団」「警視総監賞」「白い絵(ハポン)」「大統領」「ポスト」「紐育・雨」「とげ」「軽麺」「男殺油地獄(油ハムと八瘤)」「お手本」「西洋火事」「あ、やられた(卵とバラの刺青)」「スリッパ」「安全ピン」「泥棒」「孫の手」「たっぷり派」「ヒコーキ」「なかんずく」「良寛さま」「声変り」「いちじく」「「う」」「虫の季節」「黒い縞馬」「兎と亀」「職員室」「電気どじょう」「一番病」など。

 

深い。旅に出るときにポケットに入れ、何度も読み返したいね。超オススメです。(・∀・)

 

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