「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「触れもせで 向田邦子との二十年」(久世光彦)

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タイトルがいいよね。プラトニック・ラブを連想させる。きっと作者の想いが、こもっているのだろう。(・∀・)

 

遅刻魔――あんなに約束の時間にいい加減な人も珍しかった。嘘つき――大きな嘘も上手だったが、とりあえずの小細工もうまかった。泥棒――どこを探してもあの人からもらったものなど出てきはしない。奪られてばかりいた。20年のパートナーなればこその知られざる向田邦子の素顔」をはじめて明かす」

 

私の知っている向田さんは、いつも素足だった。くるぶしのあたりに、走って跳ねた泥が飛んでいた。ストッキングに跳ねてこびりついた泥は醜いものだが、素足のそれはちっとも嫌な感じではなかった。でも、それは向田さんだったからそう思ったのかもしれない。その泥を気にしておしぼりで拭いたりしないで、平気な顔をしているのが彼女らしかった。そういう無頓着のふりをして無邪気な可愛らしさに見せるあたりは、ちょっと人に真似のできないものがあった。手に持った裸の財布と、キーホルダーもつけないやはり裸のドアの鍵を、何気なくテーブルの上に投げ出し、格好よく足を組んでみせるだけで、相手に三十分も待たせたことを忘れさせてしまう。そんな狡(ずる)くて可愛い人を私は彼女以外に知らない。向田さんは、人生のすべてにおいて、あの雨の日の「素足」のような人だった。
 
・友だちの誰かが留学するのを送る会があるとする。彼女がバッグから取り出す薄い水色の封筒には「好日」と書いてある。何かの賞を貰った人のパーティーなら、表書は「花束」である。お正月訪ねた家に小さな子供がいれば、「お年玉」ではなく「おもちゃ」と書いた袋をポケットへしのばせてやる。ドラマのクランク・インなどの差し入れは、たいていは「撮入祝」だが、向田さんからもらった封筒には「おやつ」と書いてあった。
 
人の名前には匂いがあると思う。温度のようなものがあるような気がする。向田さんは、表向きは自分の名前を嫌がっていた。向田という姓も、邦子という名も、画数が少なくて、紙がはがれて桟だけの障子戸のようで嫌だ嫌だとよく言っていた。風通しが良すぎて、からしょっちゅう風邪をひくんだと怒っていた。「矢田陽子」というペンネームは、親から貰った名前が「嫌だよう」という、可愛くて悪戯っぽい反逆だったのである。
 
寺内貫太郎一家は昔の大将の名前が、それも二つも入っている。寺内正毅(まさたけ)鈴木貫太郎である。
 
欲しいと思ったものを、人から奪えるようでなければ人間一流じゃない。向田邦子はこんな恐ろしいことをよく言っていた。実践もしていた。さすが実践女子大出である。私の被害品の筆頭は、何といっても万年筆である。たった一つ、奪れなかったものがある。他人の幸せである。さびしい恋をしていた。あの人の恋は、みんなそんな恋だった。人の万年筆を奪るのは上手だったら、恋については素人みたいに下手な人だった。
 
もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人がいたら、その人を大切にしなさい。
 
「ブリジット・リン(林青霞)」は、確かに向田邦子っぽいよねー!「歳時記と歌謡大全集」は、よかった。また向田作品を再読したくなりました。オススメです。(・∀・)

 

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