もう2年くらい前から我が家では朝は「パワーサラダ」とメニューが決まっている。レタス、キャベツ、ダイコン、もやし、ブロッコリー、ニンジン、キュウリ、玉ねぎ、カニカマ、海藻サラダ、ゆで卵、ビーツ、そしてトマト!!!どこの家庭もそうだろうけど、食卓には欠かせないよね。(・∀・)
そのトマトが「毒草」だと信じられていたなんて、知ってた!?食べた人を見て失神した人が続出したとか!?信じられな〜い!
「毒草、催淫植物など、様々な誤解を経て人気の野菜となったトマト。古文書や現地取材をもとに、トマトの世界制覇の軌跡を、豊富なエピソードと写真を交えて描く」そのエッセンスを紹介しよう。
・新大陸アメリカの発見以後、始めてヨーロッパに紹介され、 世界中に広まった有用植物には、なぜかナス科が多い。 ジャガイモは飢餓に苦しむヨーロッパの人々を救って食事場を一変 させた。タバコは、 嗜好品として愛用されていない国を探す方が難しい。 トウガラシは、エスニック料理に欠かせない。そしてトマトだ。 生のままのサラダ、トマトソース、トマトケチャップ、缶詰など、 世界の生産高は年間およそ8500万トン。 数ある野菜のなかでも、つねにトップクラスにランクされている。 新大陸発見から500年。 長い人類の歴史から見ればわずか500年のあいだに、 世界で一番愛される野菜となったトマト。なにがトマトを「 いちばん」にしたのだろう。トマトの故郷はどこか? 小さなサクランボのような原種のトマトは、いつ、どこで、 現在のように大きな実のトマトに改良されたのか?いったい、 誰がトマトを新大陸から旧大陸(ヨーロッパ)へ持ち帰ったのか?
・ようなでは、どうやらはじめは「毒草」だと思われており。、一世紀以上ものあいだ、観賞用植物として扱われていたらしい。 では、最初にその「毒草」を食べた勇気ある人物は誰か。 そして驚いたことには、トマトが世界の人々から「野草」 として認められ、盛んに食べられるようになったのは、 18世紀ごろかららしい。とすれば、 たかだかこの200年のあいだの急激な変化である。 いったいどんな価値観の変化が起きたのだろうか。 トマトはどこから来たのか。そして、 どこへ行こうとしているのか。トマトロードは、謎解きの旅。 歴史の扉を一枚ずつ開きながら、 新しい発見の旅にでかけてみようと思う。
▲ 1668寛文八七月十二日 狩野探幽
・「レストラン」とう言葉が登場したのは、 1786年6月8日のことだという。仕出し屋および「 レストラン経営者」が、店内に客を招き入れ、 食事を供する許可を与えた法令のなかで、初めて「レストラン」 という言葉が使われた。 それまでは宿屋では客に出す食事は仕出し屋から取り寄せていたし 、大衆食堂では煮込み料理を売ってはいけない、 などの細かい取り決めがあったのだ。
「トマトを食べた男を見て、失神する夫人が続出した」「 コロンブスはトマトに出会ったのか」「南イタリアでは、 飢餓からトマトを食べた」「トマトを初めて見たのは、 信長か秀吉か家康か」「トマトを日本にもたらしたのは、 どこの国の人か」「 毒草マンドラゴラの仲間にされてしまったトマト」「「 観賞用植物」から「野菜」へ」「フランス革命時、トマトは「ラ・ マルセイエーズ」とともにパリへ」「ソースになった唯一の野菜」 「アメリカ文化の申し子、トマトケチャップ」「 ケチャップは何語か?」「トマトケチャップはメリカの醤油」「 文明開化の日本にやってきた西洋野菜「トマト」」「トマトは、 味噌・醤油に次ぐ「第三の調味料」となれるか」
いや〜〜いいねえ。ますますトマトが好きになりました〜!トマトファン、オススメです。(・∀・)