西城秀樹が亡くなってもう3年になるんだね……。そのニュースを聞いたとき、「自分はこんなにヒデキのことが好きで、ヒデキの歌が大好きで、影響を受けていたんだ!」と初めてわかった!さっそく「西城秀樹の歌メドレー」をまとめて「流し」で歌ったらワタシの同世代の人にウケた、ウケた!昭和40〜50年代の歌謡曲って、生活に密着していたもんねっ!
「西城秀樹生誕66周年、デビュー50周年記念出版(975年7月ペップ出版から刊行の真相復刊)。秀樹二十歳。すべてのドラマはここから始まった――。若き日の青春の光と影を赤裸々に綴った感動のベストセラー。待望の新装復刊!!秘蔵写真33点掲載」そのエッセンスを紹介しよう。
・「誰も知らなかった西城秀樹」というタイトルで、 ぼくが本を書く。信じられないくらい恐ろしいことだ。だが、 ペンを取って、 新しい原稿用紙の一枚に自分の心を描いていくことは本当はうれし い。こうして自分の机で、スタンドの灯りの下で、じっと、 白い原稿用紙をにらんで考えている。いつだったろう、 こんな風な自分を見るなんて……。
・ぼくは何故か、指先が震えて、一人だけの悲しい夜が、 これから訪れることを約束しているように思えてしかたがない。 もしかしたら、この原稿の第一ページが、西城秀樹の新しい「 出発」となるかもしれない。今夜のこの窓ガラスの、 涙のような6月の雨を、あの悲鳴のようなサイレンの音を、 そして、この指先の震えを、ぼくはいつかきっと、 はっきりとVTRのテープのように、 想い起こす日があることを予感している。「 誰も知らなかった西城秀樹」ーこれは世界中で、 ぼくだけにしか書くことのできない。 ぼくだけに許されたタイトルなのだ。ぼくは、今、 その1ページを出発(たびだた)んとしている。
・「おふくろさん、ぼくがこの誰も知らない東京で、 いつか必ず音楽で食べられるようになったら、 あのスカイルームへつれてって、 一番上等のステーキを食べてもらうからな。それまで、 ぼくのことは死んだと思って、あきらめて欲しいんだ。でも、 いつかきっとあのスカイルームのてっぺんで、 ぼくのおごりでおふくろさんを喜ばせてあげるから」 心に固く誓ったことをぼくは忘れてはいない。
・まだ芸名もついてなかったぼくを、先生は「坊や」と呼んだ。「 坊や」と呼ばれることはとっても不服だった。 でも半年で二年分のレッスンをやったという言葉は、 うれしくてならなかった。
・あれから三年ー。ぼくは今もあの当時のことを思い出す。 そしてそのたびに気持ちを新たにする。 ぼくはこれからもそれをぼく自身の励みとし、生きていく。 歌手の一生は勉強なんだ。いろいろな苦しみを乗り越え、 傷ついては立ち上がる。人間として、 さまざまな試練に打ち勝ってこそ、本物の歌を歌えるんだ。 どんな小さなことにも全力でぶつかっていこう。
いいなあ。ヒデキ、かっこいいなあ!いい男だなあ!細いなあ!ストレートだなあ。
ヒデキの歌、歌いたくなりました。ヒデキファンに超オススメです。(・∀・)