「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「若者殺しの時代」(堀井憲一郎)

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若者殺しの時代 (講談社現代新書)

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

 

 この本はオモシロイなあ!まさにワタシの青春時代、70年代〜80年代。そうコンビニとビデオデッキが登場し、普及し、翻弄された時代!?

 
ずんずん調査のホリイ博士が80年代と対峙。クリスマス・ファシズムの勃興、回転ベッドの衰退、浮遊する月9ドラマ、宮崎勤事件、バブル絶頂期の一杯のかけそば」騒動……あの時なにが葬られたのか?」そのエッセンスを紹介しよう。
 
日本のクリスマスは、1983年に始まった。僕たちが子供のころ、1960年代はクリスマスは圧倒的に子供のものだった。プレゼントをもらって、ケーキを食べて、クリスマスソングを歌って、それからお正月の準備を始める。一年の中で、大事なのはお正月よりクリスマスですよ」突然、そう言われたのは1982年の夏のことだ。僕は大学4年制で、言ったのはサークルの後輩の女子、螻川内栄子20歳、のちの漫画家のけらえいこだ。「女の子にはクリスマスです」と言われた。僕には信じられなかった。お正月よりクリスマスを大事にしてる人間がいることを。戦国時代の種子島の島民のような気分だった。1982年の夏、ぽおっと生きてる男の子をクリスマスが絡め取ろうと忍び寄ってきていた。
 
1970年代の後半から80年代の半ばにかけて、手編みのマフラーとセーターの時代。冬になると、山手線の中でも東西線の中でも西武新宿線の中でも、若い女の子が毛糸で何かを編んでいた。なんだか幸せそうな風景だった、でも1987年ごろから編み針を電車の中で動かしている娘も見なくなった。あれは昭和とともに消えてしまった風景だったのだ。当たり前のようだったいくつかの日本の風景は、80年代に確実に消えてしまったのだ。
 
・70年代には、まだいろんなものが手つかずだった。クリスマスを、若者に売れば、もうかる」とおとなたちが気づいたのは80年代に入ってからである。手編みのセーターを作らせてる場合ではない、と気づいた連中がいたのだ。
 
「クリスマスはシティホテルで過ごそう」女性誌が言い出したのが1983年である。1970年代のクリスマス記事を読んでいると、世の中に、まだ恋人たちのクリスマスの場所が用意されていないことがわかる。まだそういう商売が出てきてないのだ。クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出す時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。
 
80年代に目に見えて普及して、日本人の生活を変えたものは、ビデオデッキとコンビニエンスストアだ。70年代に発明され、80年代に一般化された。90年代に入るとビデオとコンビニなしには日本人はやっていけなくなった。そういう存在だ。
 
「バブル時代の『一杯のかけそば』騒動」「本番女優の衝撃(愛染恭子)」「宮沢りえヘアヌード」「携帯電話の登場」「いつからミステリー本は重くなったのか」「日本の文筆市場もっとも劇的な変化(ワープロ)」「新横浜はなぜ格上げされたか」「明治神宮の一人勝ち」「いつから「単位」は「来る」ようになったのか」など。

 

これだけわかりやすく時代の変化を語った本もあまりないかも。オススメです。(・∀・)

 

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若者殺しの時代 (講談社現代新書)

若者殺しの時代 (講談社現代新書)