「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「平成が終わったらテレビからいなくなってたものたち」(堀井憲一郎)

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平成が終わったらテレビからいなくなってたものたち
 

 

ワタシが社会人になったのが1987年、昭和62年だった。初めての一人暮らし。川崎のアパートは1DKで3万3000円、銭湯が目の前だったので、風呂なし。当時は電話、クーラーもなく、ビデオもなかった。当時の夢は、電話を引くこと(古い表現だね(笑))、Hi-Fiビデオを買うこと。あれから30年、時代は平成、そして令和に変わっていった。いつのまにか。あっという間の30年間!(・∀・)

 

さて、この本。「平成が終わり令和が始まった。平成の30年間で、テレビから何が消えて、何が変わってしまったのか、世の中のことをとにかく調べまくるコラムニスト・堀井憲一郎が検証し。平成が終わり、テレビは何が変わってなくて、何が変わったのか」そのエッセンスを紹介しよう。

 
・1980年代に地上波でふつうに放送されていて、2010年代にきれいになくなったもののひとつに「時代劇」がある。定番は水戸黄門大岡越前だった。2000年代に入ると勢いが衰え、2010年代に消えていった
 
サザエさん』はすごいと思う。昭和の時代からアニメになり、令和になってもやっている。しかもギャグが同じである。カツオは5年生、波平はいちおう54歳らしいちなみに磯野家には携帯電話を持った人はいないし、そもそもクーラーが設置されていない。
 
昭和の昔は、午後5時台にニュースなんてやってなかったやってたのは夕やけニャンニャンである。でなければドラマの再放送か、人形劇の三国志だった。ないしはぎんざNOW!』『お笑いマンガ道場』『リボンの騎士』とか『巨人の星』とか『マジンガーZを放送していた。それが昭和の午後5時台だった。とてものんきで素敵な時代だった気がしてしまう。うん。いま並べていて、母親に夕食を作ってもらうのを待ってる午後5時台の幸せな気分を思い出してしまった。ニュースは6時から始まって1時間だけだった。まあ、そんなもので足りていたのだ。
 
バブルといいうのは「テレビ番組を録画する手段などなく、テレビを見るにはその時間に必ずテレビの前にいなければいけない社会」が「ビデオで録画できる時代」になった時代変化も指している。インフラ的な社会前提がまったく違う早い話がかなり貧しい生活をしていたみんなが、数年でいきなり金持ちになった(気分になった)時代だったのだ。前提になっている「かなり貧しかったころ」を憶えていない人も多いし、経験していない人は想像ができないと思う。
 
・思い出しついでに言うと、水やお茶が有料に売られ出すのはバブル前期からである。それまで自販機で売られているものは「甘い飲料」しかなかったペットボトルもないから、買った缶ジュースは、その場で飲みきるしかなかった夏の暑い時分に外を歩いていると、口の中が甘くなりつづけていた。それが解消されたのがバブルである。
 
「テレビ番組を予約録画できて、あとから見られる」という時代になって、テレビ雑誌は売れていくのである。予約のためには事前に未来の番組がわかっていないといけない。平成時代のテレビのもっとも大きな変化は、デジタル放送になって、コピーさせないようになったところだろう。30年経つと、文化の表層的ないろんな部分は変わるけれど、基底部分まですべて変わるわけではないと感じる。サザエさんは文化基底部分になるのかもしれない。なわけないか。あれはものすごく特殊例ですね。
 
その他、「微妙に変わってきた朝ドラにおける女の人生縮図」「昭和の終わりのテレビコマーシャル」「もう見られない究極の深夜テレビ「砂の嵐」」「夕方のニュースキャスターは男女ペアが定番だった」「衝撃!!独占!!緊急大発表!!ワイドショーの刺激的な秘密」「平日の午前中に放送されていた「ドキュメント女ののど自慢」」「夏の夜は地上波で毎晩巨人戦を見ていた」「かつてお昼休みはのんびり時間だった」『オレたちひょうきん族はおしゃれな番組だった」など。

 

いや〜懐かしいねえ!そうそう!そうだったねー!ぎんざNOW!』懐かしすぎるっ!!タイムマシンがあったら、あの頃に戻ってみたいわー!オススメです。(・∀・)

 

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平成が終わったらテレビからいなくなってたものたち