「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「藤子不二雄論 FとⒶの方程式」(米沢嘉博)

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藤子不二雄論: FとAの方程式 (河出文庫)

藤子不二雄論: FとAの方程式 (河出文庫)

  • 作者:米沢 嘉博
  • 発売日: 2014/03/06
  • メディア: 文庫
 

いや〜この本はいいわー!!!こんな本が読みたかった〜!子どもの頃の藤子不二雄といったら、なんといってもオバケのQ太郎!いまは封印されているけどね。それからジャングル黒べえドラえもん」の一発目のアニメは、全然当たらなかったのにね。こんなに国民的キャラクターになるなんて誰が想像しただろうか!!!

 

ワタシはなんといっても、藤子作品といったら、藤子不二雄まんが道「少年時代」!これを抜きに語れないっ!著者は明治大学生田校舎の大先輩、米沢嘉博さん。明治には記念館もあるよー!

 

www.meiji.ac.jp

 

オバケのQ太郎」「ドラえもん」「笑ゥせぇるすまんほか多くのヒット作を生み出した「2人で1人のマンガ家」が、かつていた……唯一の本格的藤子論。完全作品リスト付」そのエッセンスを紹介しよう。


・藤子マンガは等身大の少年たちのヒーローへの憧れを描きはしたが、ヒーローそのものを描こうとはしなかった。それは実は、藤子マンガの一つの特徴でもあり、同時に熱狂を生み出さない要因でもある藤子不二雄は自らのマンガの構造に安住していたような気もするのだ。藤子不二雄のまとまった研究、評論が成立しなかったのは、それも一つの原因だったのかもしれない。


・Fの自意識にとって「オバケのQ太郎」の第一部(スタジオ・ゼロ作品)は、熱に浮かされて創り上げられたもので、本来望んだような形ではなかったのではなかろうか。Ⓐとの合作はまだしも、石森章太郎のタッチによって荒らされた画面は、Fの美意識には耐えられなかったのではとも思うのだ、石森のペンタッチは、画面を、作品世界を支配してしまう勢いとクセがあるのだ。脇役や背景しか担当していないにも関わらず、画面には石森のムードが濃い。この中では、Fのタッチが、主役を描いていながらも、もっとも埋没してしまっているのである。

 

・73年には、キャラクターや設定も既に決定したTVアニメ企画のマンガ化という形でジャングル黒べえ小学館学年誌)を開始している。Fの新機軸作品「ドラえもん」はまだ人気に火がついてはいなかった。二人組の藤子不二雄は、この時、売れっ子ではなかった。忘れ去られようとしていた子供マンガ家であり、SF短編も大きく注目はされていなかった。74年の「バケルくん」「みきおとミキオ」「キテレツ大百科は、連載中だったドラえもん」に代わる形でスタートしたものだった。それは、変身能力、コピーロボットといった流れの中で生み出された、ペット形キャラクターから離れたSF的日常コメディだった。つまり人気の出ない「ドラえもん」に代わる新たなパターンの創出を求めて試みられたものだったろう。


学年誌を再度主要メディアとしていたFの中で、低学年向けのペット型キャラクターとちょっとした高学年向けのSF少年マンガという方向性が見えだしたのが、つまり74年だったのである。そうして、その元型となったのが「ドラえもん」の不思議な道具によって起こる、ちょっと非日常的な出来事だったのだ。道具は使う人によって、違った様相を見せる。さらに、道具は日常に属するものであり、使用を止めれば、元に戻るのだ。ショートストーリーの中で、こんなに便利な道具はない。日常からスタートし、スイッチを入れればちょっと不思議な困った出来事、あるいは楽しい出来事が起こり、都合のいい形で停止させれば、日常はまた違ってくる。「道具」というアイデア、システムによってパターン的な語り口が開発されたのである。ドラえもん」は、マンガにおける一つの発明でもあった。そして、その中からFにとっての新たな少年マンガが動き出していたのである。


・整理する意味で、FとⒶの違いを対立概念の形式で並べてみよう。白と黒、SFとホラー、内向と外向、女性的と男性的、飲まないと飲む、仕事と遊び、攻めと受け、暗と明、意志と実行、叙事と叙情、ドライとウェット、物語と絵、保守と前衛、無双と現実、世界と個、子供と大人、非(アンチ)ヒーローとヒーロー、記号と映像、リアリティとナンセンス、仙の細さと太さ、相対と絶対、意識下と表層、……たぶん、それはもっと多くの対立する言葉として並べ立てていくことができるに違いない。よく練られたスタジオワークとアドリブ込みのライブ感覚、ウィットとドタバタ、無個性と個性、古典と流行物、互換性と個別性……といったものをあげることがもできる。

 

たかがマンガ、されどマンガ……藤子不二雄にとって「マンガ」の持つ意味は、他のマンガ家とは比較にならないほど大きかったのである。マンガが、藤子不二雄を生み出した。その単純な言葉によって、この本を終わらせようと思う。また、マンガによって自分が形創られたと思っているぼくにとって、それ以外の結語は考えられなかったのである。

 
その他、「テキストとしての「まんが道」」「赤塚不二夫と違うギャグ」「劇画時代のⒶ」「F、時代の中での後退」「Ⓐ、大河ドラマへの道」「ドラえもんの時代」など。

 

あ〜いいなあ!あらためて藤子作品を再読したくなりました〜!マンガファン必読!超オススメです!(・∀・)

 

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藤子不二雄論: FとAの方程式 (河出文庫)

藤子不二雄論: FとAの方程式 (河出文庫)

  • 作者:米沢 嘉博
  • 発売日: 2014/03/06
  • メディア: 文庫